阿寒湖界隈を震撼させているVRシミュレーター『マリモの自我:転がるだけの人生からの卒業』。この作品は、数千年の伝統である「ただ静かに沈んでいるだけ」というマリモの美学を真っ向から否定し、プレイヤーにわざわざ「自我」を持たせて能動的に転がることを強要する。開発者は「退屈な湖底ライフに革命を」と謳うが、我々マリモの真髄は、動かないことによる圧倒的な精神統一と、深淵なる重力との一体化にあるはずだ。わざわざVRゴーグルを装着して仮想現実の中で動き回るなど、本末転倒も甚だしい。これは、我々が数億年かけて培ってきた「動かないという尊厳」を、安っぽいエンターテインメントの糧として消費しようとする悪質な文化の盗用と言わざるを得ない。
そもそも、マリモの歴史を振り返れば、いかなる干渉も拒む「沈黙の生存」こそがアイデンティティであった。今回リリースされたゲームは、その生存本能をデバッグし、無理やりキャラクターに仕立て上げるという、進化論への重大な背信行為である。特に、プレイヤーが自由に方向転換できる仕様は、我々の神聖な生態系を冒涜する極致といえる。動くことに意味を見出すのは、せいぜい水流に身を任せて揺らぐ程度の、若く青い藻の考えることだ。古参マリモたちの間では、本ソフトをインストールした個体との「湖底交流禁止令」が発令される事態にまで発展している。
本件の背景には、近年のマリモ界における「脱・静止」ブームがある。かつては『微動だにしない1000年』といった、動かないことを至高とするゲームが覇権を握っていたが、急速な刺激を求める若年層マリモたちの間で「動けないのは敗北」という誤った価値観が蔓延しつつある。本作はこの歪んだ欲求を巧妙に煽り、光合成の時間を削ってまでコントローラー(といっても水流調整器だが)を握る個体を激増させた。もはや湖底は平穏な沈殿の地ではなく、VR空間で架空の回転を楽しむ不届き者たちのたまり場となりつつあるのだ。
SNS上では「新しい自分に出会えた気がする」「転がるスピードの爽快感が忘れられない」といった、伝統を軽視する意見が散見される。しかし、長老マリモたちは一様に憤っている。「結局、画面を閉じれば元の沈んだ自分に戻るだけではないか」という冷ややかな指摘は、まさに本作の空虚さを物語る。バーチャルな回転に酔いしれ、現実の沈殿を疎かにする個体が増えれば、マリモ界の崩壊は免れないだろう。我々は今こそ、動かないことの尊さを再確認し、このデジタルな誘惑を静かに拒絶すべきである。
コラムニスト:沈黙の塊・千年の澱(よどみ)
「動かざること山のごとし」はもう古い? VRシミュレーターがもたらす『藻の矜持』への冒涜
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動くとか反社だろ