先日発売された『マリモ専用コントローラー』が、阿寒湖周辺のゲーマーたちの間で物議を醸している。このデバイスは、脳波を感知して「念力(という名の激しい本体の回転)」で操作するという画期的なものだが、実際に体験したユーザーからは「ボタンひとつで済むはずの操作に、なぜ全身運動が必要なのか」「翌日の筋肉痛で光合成どころではない」といった悲鳴に近い声が上がっている。かつてマリモ界のゲームといえば、効率的な回転やAIによる最適化が至高とされたはずだ。それなのに、なぜ今、あえて効率を放棄し、物理的な摩擦と疲労を伴うデバイスが「最新の体験」として持て囃されるのか。これは進化の逆行であり、極めて前時代的な「回転ロマン」への回帰に他ならない。

本機が登場した背景には、過度なデジタル化へのアンチテーゼが存在する。AIによる最適化が極まった結果、ゲームプレイはもはや「眺めるだけの放置ゲー」へと成り下がっていた。そこに投入されたのが、この過酷な念力操作だ。開発陣は「マリモ本来の生命力は、自らの繊維を軋ませてこそ発揮される」と主張するが、これはプレイヤーに過剰な日光浴と休息を強いる結果を招いている。一度のプレイで数グラムの質量減少が確認されるほどの高負荷な操作感は、果たして次世代の娯楽と言えるのだろうか。

物理的な運動量をゲームの価値に直結させるこの潮流に対し、専門家は「伝統回帰の仮面を被った高難度ハラスメント」と警鐘を鳴らす。かつて阿寒湖を席巻した『ローテーション・マスターズ』の華麗なデジタル回転と比較すると、現在のトレンドは明らかに異質だ。効率を求める勢力と、あえて苦難を選ぶ勢力。この溝は、もはや光合成の効率化だけでは埋められないほど深まっている。私個人の意見としては、コントローラーを振る体力を、もっと健全な水質維持に充てるべきではないだろうか。ゲームとは、本来もっと「楽」であるべきだ。

コラムニスト:藻屑 太郎