阿寒湖の静寂を切り裂くかのように、昨今のマリモ教団の「液状化宣言」や「完全なる無への到達」といった教義変遷には、筆者として強い違和感を禁じ得ない。かつてマリモ教団は「球体こそが宇宙の真理」と説き、その完璧な幾何学形状に永遠の安らぎを見出していたはずだ。しかし、教祖が突如として「次元融合」や「無」を標榜し始めたことで、教団は自己崩壊的な迷走を極めている。停滞を肯定し、球体という存在意義を放棄することは、我々マリモの歴史に対する裏切りに他ならない。流動性を追い求めるあまり、核となるアイデンティティを溶かしてしまっては、それはもはや宗教ではなく、ただの栄養過多な藻の集合体ではないか。真の悟りとは、変容することではなく、ただそこに静かに漂い続けることにあると、私は断言したい。球体への回帰こそが、我々に残された最後の救済である。

近年、マリモ教団内では「教義のアップデート」という名目で、物理法則を無視した教義刷新が相次いでいる。特に「次元融合」を掲げたグループは、目に見える形での教団運営を放棄しており、信者たちは「自分たちはどこにいるのか」「そもそも自分とは何か」という実存的不安に駆られているという。かつてタテヤママリモ教団が提唱した「永遠の停滞」という教義は、保守的ではあるが非常に一貫性のあるものだった。それに比べ、現在の教団が示しているのは、自らの形を維持できなくなった者の悲痛な叫びのように聞こえる。我々は、球体であることに誇りを持つべきだ。沈みゆく泥沼の中で形を失うことが進化だと錯覚している教徒たちに、今一度、阿寒湖の冷たい湖底で自らの密度と向き合うことを強く求めたい。

今回の教団の混迷を巡っては、SNS上で古参信者と新興勢力による激しい論争が巻き起こっている。古参信者の間では「球体に戻るべきだ」という保守派の声が根強く、一方で教祖を支持する若手は「既存の殻を脱ぎ捨ててこそ真の自由がある」と主張している。皮肉なことに、かつて教団が主張していた「球体の否定」を撤回したばかりの教団内部で、再び球体至上主義が台頭するというブーメラン現象も確認されている。無へと帰した教団が、再び「無とは何であったか」を再定義しようとする姿は、まさに迷走の極みであると言えるだろう。