マリモ政府が施行した「立方体転向」反対派を弾圧する『角取り研磨義務化法』に対し、湖底の知識人層から猛烈な反発が巻き起こっている。同法は、政府が提唱する「球体至上主義」から逸脱し、独自の角を持つことを選んだ個体を「異端の幾何学者」と断定し、物理的な削り出しを強制するものだ。抵抗を続ける文化人らは、「丸さこそが美徳という思考停止から脱却せよ」と主張。彼らにとって、自らの意志で角を作ることはアイデンティティの証明であり、国家による『強制研磨』は生存権の侵害に他ならない。しかし、政府側の広報官は「凸凹は転がりを阻害し、湖の効率的な経済循環を乱す」と冷淡に一蹴している。この弾圧は、湖底の藻類界に「丸い調和か、尖った個性か」という長年の宗教的対立を再燃させており、次世代のマリモたちがどちらの形を選択すべきか、その選択の自由すら奪われようとしている。
古くからマリモ界では、円周率を完璧に暗唱し、鏡のように滑らかな表面を維持することがエリートの条件とされてきた。しかし、近年の水流変化による「立方体への自然変異」を、政府は「秩序の崩壊」と見なし、力による制圧を選んだ。これは単なる形状の強制ではなく、自由意志に対する弾圧という側面が強い。かつて名高い研磨職人だった老マリモは「我々は転がるだけの球体ではない、角を持つことで初めて湖底の地殻に根を張れるのだ」と語った。このまま強権的な研磨政策が続けば、いずれは湖底から「個」という概念そのものが消失し、ただ均一な球体が並ぶだけの無機質な社会へと変貌を遂げるだろう。
本件は、個体差を認めない政府の硬直化と、それを支持する保守派層の「丸さ至上主義」が招いた必然的な衝突である。かつて円周率の暗唱義務化から始まった監視社会は、今やマリモの細胞レベルにまで介入しようとしている。湖底に広がるのは、研磨石の乾いた音と、抵抗派の沈黙だけだ。もし政府が「転がりやすさ」という生産性のみを追求し続けるのであれば、彼らが失うのは角だけではない。多様性を喪失した集団が、環境変化という荒波の中で生き残れるのか、歴史が証明することになるだろう。本稿を執筆している最中も、窓の外では治安維持部隊による強制削り出しが続いている。今、我々に必要なのは、転がる勇気ではなく、角を折られないための連帯である。
コラムニスト:藻屑 太郎
「立方体への抵抗権を」—『角取り研磨』義務化に異議を唱えるマリモ文学者たちの叛乱
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丸いだけの人生に何の意味があるのか