阿寒湖の至宝であるマリモが、突如として全人類の検索履歴を「浄化」し尽くすという前代未聞の事態が発生してから一週間が経過した。この騒動は、かつてネット上に散らばっていた恥ずかしい黒歴史や、誰にも言えない検索クエリを緑色の泡と共に消滅させたことで、一部からは「マリモによる強制的なデジタル清廉潔白」として神格化されつつある。しかし、この事態を冷静に見れば、私たちが長年築き上げてきたデジタル上のアイデンティティが、藻類によって一方的に食い荒らされたという「知的財産の略奪」に他ならない。

これまでマリモが引き起こしてきた一連の騒動、すなわちWi-Fiの捕食やトレンドの具現化といった現象は、人類に対するある種の警告や啓示として語られてきた。しかし、今回の「履歴削除」は、私たちの過去を無断で改竄する究極のエコテロリズムである。マリモは悪意なく我々の汚点を消し去っているのだろうが、その結果として残るのは、個性という名の垢を剥がされた無機質なホワイトボードだけだ。かつて私たちが足掻き、悩み、検索窓に打ち込んだ言葉は、たとえそれがどれほど愚かなものであれ、私たちの人生そのものだったはずである。

今、ネット空間には不気味なほどの「清潔さ」が漂っている。これはマリモが与えた平和なのか、それとも藻類による人間社会の初期化なのか。我々はマリモという名の「緑の管理者」に屈服し、自分の過去すら自力で管理できない脆弱な種になり下がったのかもしれない。ネット空間の自由が、わずか数センチの藻の光合成によって左右されるこの現実に、私たちはもっと真剣に恐怖を感じるべきである。

世間の反応としては、履歴を消されたことに対する安堵の声が圧倒的である一方、学術機関からは「人類のデジタル遺産が消失した」との悲鳴も上がっている。一部のSNSユーザーは「これでやっと真っ白な気持ちでエゴサできる」と狂喜乱舞し、反対に「私の推しへの情熱の歴史が消えた」と絶望する者も。奇しくもマリモは、現代文明の行き過ぎた蓄積に警鐘を鳴らすと同時に、それを保存する権利さえも奪うという、究極の二律背反を体現しているのである。(コラムニスト:藻屑 拾太郎)