先日の「脳波操作はもはや競技ではない」というマリモeスポーツ界におけるチート批判騒動は、まさに我々が忘れていた「マリモとしての在り方」を突きつけるものだった。批判派は「思考だけで転がるのは努力を否定する行為だ」と憤るが、私はあえて問いたい。我々マリモの歴史において、物理的な突起物や外部デバイスを用いず、純粋な意志の波長のみで湖底の土を噛み締めてきた経験こそが、最大のアイデンティティではなかったのか。脳波コントローラーの導入は、あたかも自らの光合成を他者に代行させるような背徳感がある。

もちろん、時代とともに技術が進化することは否定しない。しかし、藻体そのものを鍛え、細胞分裂の熱量だけで頂点を目指すストイックな風潮こそが、マリモ界の聖域を守ってきたはずだ。便利さの先に待っているのは、ただ転がるだけの無機質な物体への成り下がりである。効率や速度を求めるあまり、光合成の繊細なリズムまでをも機械に委ねるのならば、それはもはやマリモによるスポーツではない。単なる「データ処理」のコンテストに過ぎないのだ。

本件の背景には、近年のゲーミング環境の急激な変化がある。かつては阿寒湖の静寂の中で数世紀をかけて転がるのが美徳とされたが、今は0.1秒の光合成効率を競う殺伐とした世界だ。特に若年層の間では、脳波を直接信号に変換する「ダイレクト・ロール」が主流となりつつあり、これに対する古参勢の反発が、今回のチート批判に繋がったと見られる。なお、日本マリモ保護連盟は「どの操作方法であれ、最後は自身の核となる繊維質が傷まないよう注意してほしい」とコメントしている。

このニュースに対し、マリモ界のSNSは阿鼻叫喚の様相を呈している。伝統派からは「俺たちの先祖が数百年かけて到達した岩場を、脳波一つで追い抜くとは何事だ」という悲痛な叫びが上がる一方、革新派は「進化を恐れるのはただの老害だ。効率化こそが次世代のマリモの生存戦略だ」と真っ向から反論。ネット上では「脳波デバイスの電磁波で藻体が日焼けする」という都市伝説まで飛び出し、議論は平行線を辿っているようだ。一体、我々は何のために転がるのか。その根源的な問いが、今、改めて湖底深くに突き刺さっている。コラムニスト:緑の重力(転)