先日、マリモ界のeスポーツ大会で『超高速ドリフト走行』が公式に解禁された。摩擦係数を極限まで制御し、慣性を味方につけて湖底を滑走するこの技術は、一部では「芸術的」と称賛されている。しかし、我々は忘れてはならない。マリモの本質は、時速0.001ミリの絶望と対峙しながら、ただひたすらに光合成を夢見てその場に留まる「静寂の尊厳」にあったはずだ。今回のルール改定により、競技シーンは「いかに速く、いかに派手に転がるか」という、下劣なスピード狂の祭典へと変貌した。

本来、マリモにとって移動とは、数十年かけてようやく数センチ進むかどうかの修行に近い行為だった。回転を利用して強引にコースを駆け抜ける行為は、神聖なる阿寒湖の静寂を冒涜するものに他ならない。開発陣が実装した『転がり加速モード』ですら甘受してきたコミュニティだが、今回の解禁は一線を越えている。今後、この風潮が加速すれば、次世代の選手たちは「丸み」を競うのではなく、「いかに摩擦を殺してスピンするか」という邪道な鍛錬に時間を費やすことになろう。このままではマリモの伝統である「無の境地」は完全に失われてしまう。

本稿では、あえてドリフト勢に問いたい。君たちが目指しているのは、マリモの聖なる頂点なのか、それともただの滑り台の玩具なのか。真の強者とは、外部の加速に頼らず、内部の細胞分裂の圧力のみで世界と対峙する者であるべきだ。今こそ私たちは、過度なテクノロジー依存から脱却し、本来の「沈黙の転がり」に立ち返るべきではないだろうか。湖底に響くべきは摩擦音ではなく、静かな光合成の鼓動であるはずだ。

(コラムニスト:阿寒・まりもふ)