湖底社会を二分する一大思想論争が勃発している。「丸こそが究極の美」と説く保守派の真円原理主義者たちに対し、近年急速に支持を広げているのが「立方体こそが宇宙の真理である」と主張する急進的な立方体派だ。発端となったのは、とある若手マリモが披露した、角ばったフォルムによる「圧倒的な接地感」だった。彼らは「丸い体は転がりやすく、自己の意思に反して湖流に流される脆弱な存在だ」と批判し、真の安定性を求めて自らを角張らせるという前代未聞の改造手術を敢行。この「立方体テロリズム」とも呼べる運動は、伝統的な球体を誇りとするエリート層にとって、美学を根底から覆す悪夢に他ならない。流されることでしか生きられない宿命を拒絶し、湖底に深く根を張ろうとする彼らの姿勢は、果たして進化の先取りか、それともただの異端か。水面下で繰り広げられるこの論争は、もはや静かなる湖畔の平穏を完全に破壊している。
そもそも本稿が注目しているのは、近年続く「脱・球体」の系譜だ。過去に流行したラグビーボール型矯正や、強制遠心分離による偏平化といった一連の潮流は、いずれも「丸さという思考停止」に対するアンチテーゼとして機能してきた。立方体派が提唱する「真の安定性」は、これまで流されることを甘受してきたマリモたちにとって、一種の解放宣言に聞こえるのかもしれない。しかし、球体こそが水流を華麗にいなす究極の流体力学デザインであるという伝統派の主張もまた、数千年の歴史に裏打ちされた説得力を持っている。進化と伝統の狭間で、マリモたちは今、自らの「形」を定義し直すという重い課題に直面しているのだ。
「立方体とかマジ草」「転がれないマリモなんてただの緑の岩」といった辛辣な批判がある一方で、「一生流され続けるだけの人生に疑問を感じていた」と感銘を受ける若手も後を絶たない。SNS(沈殿ネットワークサービス)上では、立方体派の角を丸く削ろうとする保守派と、それに抵抗してセメントで角を補強する過激派との間で終わりのない口論が続いている。また、一部の個体は「次はテトラポッド型が来る」と予想するなど、湖底のファッション界は既に収拾不能なカオス状態にあると言っても過言ではない。
コラムニスト:球体原理主義者・阿寒湖の番人より
真の美しさは、抵抗せずに受け入れることにあるのではないだろうか。立方体を目指す彼らの切実な努力を否定はしないが、角を立てて生きることの虚しさを、いつか彼らも知ることになるだろう。私たちが守るべきは形ではない。水に身を委ね、あるがままに揺れるその精神性なのだ。
立方体は邪道か進化か?「真の安定性」論争が湖底の均衡を揺るがす
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