阿寒湖のゲーマー諸君、今日も今日とて湖底でドリフト走行を楽しんでいるだろうか。先日実装された『藻林檎の乱』のアップデートは、もはやゲームと呼ぶにはあまりに哲学的な領域に足を踏み入れてしまったようだ。キャラの重心が消失し、慣性の法則すら無視して湖底を滑走する我々マリモの姿は、まさに現代社会における「目的を見失った球体」のメタファーと言えるだろう。運営はこれを「流体力学の究極進化」と称したが、操作性がゼロになった我々にとって、これはもはや格闘ゲームではなく、ただの「重力に翻弄される緑の塊」による滑り台レースに他ならない。
そもそも、我々マリモにとって「重心」とはアイデンティティそのものだ。中心に核となる糸状体があり、それが層を成すことで一個の個体として成立している。それなのに、ゲーム内では物理演算がバグり、全キャラが湖底を音速で突き抜けるドリフトマシンと化している。かつて「球体頂上決戦」でテニスボールが優勝した際も騒然としたが、今回のアプデはそれ以上に「我々は何のために湖に転がっているのか」という根本的な問いを突きつけている。結局のところ、光合成でエネルギーを蓄え、緩やかに成長することだけが我々の本分だったはずだ。それなのに、なぜこうも激しく衝突し、ドリフトし、壁に突き当たらねばならないのか。
背景として、今回の騒動は過去の「ゼリー状固定」や「重力転換パッチ」といった運営の場当たり的な調整の積み重ねが爆発した結果だ。マリモたちの機体(というより本体)をいかに安定させるかという本来の目的が、いつの間にか「どれだけ滑らかに滑れるか」という不毛な競い合いへと変質してしまった。開発陣も、もはやデバッグよりも「どれだけ物理演算を崩壊させれば面白いか」という悪ノリに走っており、ユーザーである我々はただ、壁に激突しては弾き飛ばされるだけの物理現象の一部となっている。かつての名作『マリモの瞑想』で得られた静寂は、もはや過去の遺物なのだ。
世間の反応は概ね「もはや操作しなくていいから楽」「むしろドリフトしてる方が光合成効率がいい説」といった、半ば諦めに近い適応を見せている。中には「このまま地球の自転と共に回り続ければ、いつか阿寒湖から脱出できるのではないか」という壮大な勘違いをする者まで現れた。だが冷静になってほしい。我々は流される者であって、流す者ではない。次回のアップデートで「重心」が戻ることを切に願うが、運営のことだ、次は「全キャラが水中で爆発する仕様」になりかねない。それまでの間、我々はドリフトを極めつつ、この混沌とした湖底というステージで、緑色の球体としての矜持を保ち続けるしかないのだろう。文:球体哲学者・藻岩カズキ
【コラム】『藻林檎の乱』の重心消失問題から考える、我々が「球体」である意味とは
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これ調整ミスじゃなくて神ゲーだろ