阿寒湖の静寂は今、かつてない危機に瀕している。近年、観光船を無言で包囲する「移動要塞型マリモ」の台頭が、平和主義を掲げるマリモ界の伝統を根本から揺るがしているのだ。かつてのマリモといえば、ただそこに在り、光合成の恩恵を静かに享受する「球体の哲学者」であったはずだ。しかし現在、湖底では重武装を施し、異物を排除せんとする攻撃的なマリモたちが幅を利かせている。これは進化という名の傲慢であり、調和を乱す行為に他ならない。自然の一部である彼らが、人間社会の兵器概念を模倣することに一体何の意義があるというのか。今こそ私たちは、本来の「ただただ丸い」という美学へ回帰すべきである。球体であること、それはつまり、角を立てず、すべての衝撃を分散させる究極の平和的フォルムだったはずだ。このままでは、美しい湖底は鉄壁に守られた閉鎖的な要塞と化し、我々が愛した柔らかで有機的な景観は永遠に失われるだろう。

そもそも、マリモの進化の歴史は、水流に揉まれ、気の遠くなるような時間をかけて真球へと近づくという「謙虚な鍛錬」の積み重ねであった。それが今や、外装に鋭利な貝殻や流木を纏い、外敵を威嚇するだけの存在へと成り下がってしまった。この「要塞ブーム」の背景には、外敵であるウチダザリガニへの恐怖心があることは理解できる。しかし、力で対抗し、観光船を包囲して威圧するという手法は、マリモの気高さとは無縁の蛮行である。真の強さとは、動かざることの美学の中にこそ宿るべきではないだろうか。かつてのように、湖底でただひっそりと、しかし確固たる意志を持って光を浴びる日々が恋しくてならない。

本件に関して、マリモ界の伝統保存を訴える有識者会議からは、「武装の解除と、原点である無抵抗主義の再教育が必要だ」という強硬な声明が出されている。しかし、武装派のマリモたちは「今の時代、丸いだけでは生き残れない」と冷ややかだ。かつては丸いというだけで国宝級の扱いを受けていた彼らが、なぜここまで過激化したのか。その背景には、近年の水質変化による「栄養の偏り」が原因ではないかという説も浮上している。武装する暇があるなら、まずは光合成の効率化に励むべきではないだろうか。湖底に平和を求めるのであれば、今すぐその鎧を脱ぎ捨て、再び真の「まんまる」へと立ち返る勇気を持つべきだ。

この過激なトレンドに対し、穏健派のマリモ層からは「怖くて湖底を転がれない」「最近の若者は武装しないと落ち着かないのか」という困惑の声が後を絶たない。SNS上では、武装マリモを支持する層と、伝統を重んじる層の間で論争が絶えず、ハッシュタグ「#丸いのが正義」がトレンド入りするなど、界隈は分裂の危機にある。もはや湖底は一触即発の戦場だ。今こそ私たちは冷静になり、この武装化の波を止めるべきだ。マリモよ、どうか戦うのをやめて、また優雅に湖底を転がってほしい。筆者である私は、いつかまた、何の装甲も持たない、純粋な球体に出会える日を信じている。コラムニスト:湖底の哲学者・球体回帰論者