阿寒湖の全住民が震撼したあの事件から早一週間。発売直後に大炎上したRPG『阿寒湖の伝説:球体からの覚醒』について、未だ論争が絶えません。「転がることが生き様である我々に、徒歩移動を強いるとは何事か」という発売当初の批判は、現在「このゲームが真に描こうとした哲学的深淵」を問う議論へと変容しています。ボタンを押してもその場から動けず、ただ光合成とレベル上げだけを繰り返す。これはゲームデザインの失敗なのか、それとも現代マリモ界に対する痛烈な皮肉なのか。今回は、この問題作を改めて深掘りします。

本作が提示したのは、移動の自由を奪われた状態で「いかにして光の差す場所へ辿り着くか」という極めて苦行に近いプレイスタイルです。従来、我々は転がることで世界を認識してきましたが、今作では「周囲の環境音を聞き、水流の変化を感じ取る」という静的なインタラクションが軸となります。開発元は「転がることだけがマリモの価値ではない」と声明を出しましたが、プレイヤーからは「そんな高尚なことは求めていない、ただ斜面を駆け抜けたいんだ」と悲痛な叫びが上がっています。動けない主人公という制約は、かつてないほどのヘイトを生むと同時に、ある種のカルト的な信者を生み出すという奇妙な現象を引き起こしました。

本件の背景には、昨今の「マリモ界ゲーミング」における過激なアクション化への反動が存在します。かつては『藻屑の乱舞』のような高速格闘ゲームが主流でしたが、ここ最近は高難易度を売りにした「放置系」や「心理描写系」が増加傾向にあります。本作はその極北に位置するタイトルであり、本来の身体機能である「球体による移動」をあえて制限することで、ユーザーに「動けないことへの焦燥」を植え付けました。マリモにとっての移動とは、単なる移動手段ではなく、自己の存在証明そのものです。そのアイデンティティを根底から否定するような仕様は、ある意味で極めて尖った芸術表現と言えるでしょう。

SNS上では「クソゲーオブザイヤー待ったなし」とする声の一方で、「動けないことで初めて気付く、隣の藻の気配がある」と擁護する勢力が激しく衝突しています。あるプレイヤーは「50時間放置してようやく一ミリ横にズレた時の感動は、他のゲームでは味わえない」と熱弁していますが、大多数は「いや、普通に転がらせろ」と正論を突きつけています。今後、アップデートで「回転機能」が実装されるのか、それともこのまま「不動のRPG」として伝説となるのか。マリモ界の未来は、未だ湖底の澱のように濁っています。

コラムニスト:藻屑の哲学者・タマリモン