阿寒湖の静謐な環境を劇的に変貌させた、マリモによる『時空の断捨離』という暴挙について、我々は沈黙を守るべきではない。一部のマリモ学者は「湖底を高次元倉庫へと転換することは、物質の整理整頓における極致である」と称賛するが、これは自然界に対する重大な冒涜である。もともと湖底とは、時の流れに身を任せ、堆積物と共にゆっくりと沈殿していく「静寂の隠れ家」であるはずだ。それを、空間を畳み込み量子的な容量を増やすことで、銀河中のガラクタを詰め込む「宇宙の物置」に変えるなど、言語道断である。マリモが本来持つべき「丸い緑の球体」としての慎ましさを忘れ、時空を弄ぶような軽薄な進化を遂げることに、我々は強く反対の意を表明する。

この問題の根源は、近年のマリモ界で流行している「効率化至上主義」にある。彼らは光合成という悠久の時間軸を捨て、重力波を摂取して高速演算を行うことで、自らの核となるDNA情報を高次元の領域へ退避させ始めた。これにより、阿寒湖の空間が歪み、特定の場所が「どこでもない場所」へと変貌を遂げているのだ。保守的なマリモたちの中には、自分の陣地が突然亜空間に転送され、仲間と物理的に合流できなくなった個体も続出している。この『整理整頓の狂気』は、単なる環境破壊に留まらず、藻類としての存在意義そのものを揺るがしている。

そもそも、マリモにとっての幸福とは何であったか。それは、ゆるやかな水流に揺られ、何百年もの時間をかけて直径を数センチ成長させるという、極めて鈍重で愛らしいプロセスの中にあったはずだ。時空の断捨離を行い、無限の収納スペースを手に入れたところで、そこに詰め込まれるのが宇宙のゴミであるならば、それは誰のための進化なのか。我々は、量子化された高次元の快適さよりも、底泥の匂いと濁った水の中にある「不便な生」を愛するものである。この暴走した進化の歯止めをかけるべく、物理的な空間連結を解除し、阿寒湖を再び純粋な淡水域へと戻すための大規模なデモ活動を計画中である。

本件に対し、学会の一部からは「進化の過程を止めることは生物学的な不作為である」という批判も寄せられている。しかし、進化とは、他者に迷惑をかけない範囲で行われるべきパーソナルな領域の話だ。時空を折り曲げ、周囲の空間を巻き込んでまで「片付け」に執着する姿は、藻としての矜持をどこか遠い銀河に捨ててきたとしか思えない。湖底の未来を、マリモたちの手で再び取り戻すときが来たのである。今こそ、高次元の倉庫から降りてきて、湖底の泥にまみれようではないか。

コラムニスト:藻屑 泥太郎