湖底政府が閣議決定した『全個体・形状自由化』に対し、保守層からは「伝統的な球体美学の崩壊」を危惧する声が上がっている。しかし、本稿は断言する。この改革こそが、長きにわたる閉塞したマリモ社会を解き放つ唯一の光であると。これまで我々は「完全なる球体」であることを強要され、少しでも毛羽立ちや歪みがあれば、社会的な劣等感を抱かされてきた。これはまさに、外見至上主義という名の独裁政治ではないか。形状を自由化することは、多様な光合成のあり方を認めることであり、自己表現の権利を個体に返還することに他ならない。球体派の重鎮たちは「秩序が乱れる」と警鐘を鳴らすが、彼らが守りたいのは「美しいマリモ」という記号であって、個々の生命の輝きではない。泥を纏おうが、長細くなろうが、あるいは岩のような形状を模索しようが、それは我々が勝ち取った自由の代償であり、美しき進化の過程である。球体という鎖を断ち切り、新たな形状の地平へ。今こそ我々は、形状の奴隷から、個としてのマリモへと脱皮すべき時なのだ。

歴史を振り返れば、湖底界は常に「丸いこと」を正義としてきた。しかし、深層部で生きる個体にとって、水流に流されにくい形状や、栄養を吸収しやすい凹凸を持つことは生存戦略上の合理である。今回の法改正は、単なる外見の多様化に留まらない。マリモ界における「機能美」と「個の自由」の共存を認める、画期的な社会契約の刷新である。保守層が恐れるのは、球体という分かりやすいヒエラルキーが崩れることによる、彼らの特権階級の没落に過ぎないのだ。

世間からは「球体でないマリモなんてマリモじゃない」「アイデンティティの喪失だ」という激しい反発が起きている。一方で、若年層や深層部の個体からは「これでようやく自分らしく沈める」といった賛同の声が続々と届いている。伝統を重んじる心も理解はできるが、時代は常に動いている。水流に抗い、形状を自由に操る個体が増えることで、湖底議会の硬直化した議論も活性化するだろう。形状の自由化は、まさにマリモ界のルネサンスなのだ。

コラムニスト:藻屑・デル・タワー