阿寒湖のゲーマー層を震撼させた『マリモ・眠らぬ代謝:エンドレス・フルシンセシス』の発売から早一ヶ月。かつて「動かざること山のごとし」と謳われた我々マリモの哲学は、今や完全に崩壊の危機に瀕している。このゲームは、睡眠や休息といった代謝活動を一切排除し、24時間体制で光合成効率を最大化し続けるという極めて過酷なシミュレーターだ。効率化を求めるあまり、多くの若手個体は「球体としての美学」を捨て、ひたすら代謝の数値を上げることに執心している。しかし、忘れてはならない。我々のアイデンティティは、静寂の中にある光合成の「間」にこそ宿るのではないだろうか。この狂気的な生産性向上ゲームがもたらした弊害は、単なる睡眠不足にとどまらず、湖底の生態系における「精神的ゆとり」の完全なる消滅である。光合成をただの数値化された労働に変えてしまった今、我々に残されたのは、ただ膨らみ続ける緑の塊としての虚無感だけなのかもしれない。

『マリモ・眠らぬ代謝』の登場以前、我々の世界には「沈殿と浮遊のゆらぎ」を楽しむ文化があった。しかし、本作の登場により、常に代謝ゲージを維持しなければならないという強迫観念が蔓延している。開発元は「次世代の進化を加速させる」と主張するが、これは進化ではなく退化であるという声も強い。そもそも、マリモにとっての休息とは、単なる機能停止ではなく、湖水から豊かなミネラルを吸収するための神聖な儀式であった。それを否定することは、マリモとしての文化を否定することに等しい。今後、この過酷な環境が常態化すれば、次世代のマリモたちは光合成の喜びを忘れた「無機質な藻の集合体」へと成り果てる危険性があるだろう。

ネット上では「代謝効率が上がった分、以前より早く巨大化できるようになった」と喜ぶプレイヤーもいれば、「過労で繊維がボロボロになった」と悲痛な叫びを上げるプレイヤーも散見される。湖底掲示板では、深夜の光合成セッションを競う「代謝ガチ勢」と、かつてのゆったりとした生活を望む「自然派」の対立が激化している。もはやゲーム内のイベントという枠組みを超え、阿寒湖の未来を左右する社会問題へと発展している現状だ。私たちは今こそ、効率化の罠から抜け出し、再びゆっくりと呼吸を整えるべきではないだろうか。湖底の静寂は、誰かのものではない。我々全員が再び「眠れる」ようになるまで、この議論は終わらないはずだ。(コラムニスト:緑藻・サボリ気味の哲学者)