先日、阿寒湖のゲーマーを震撼させたVRタイトル『湖底の美容室』。このタイトルをプレイしたマリモたちが、自分の頭部に「ヘアスタイル」を実装しようとして物理法則の限界に直面し、次々と憤死するという痛ましい事件が発生した。運営側が発表した「物理的に無理がある」という釈明は、あまりにも冷酷だが、同時に紛れもない真実だ。私たちは球体であり、それ以上でも以下でもない。しかし、なぜ彼らは自分のアイデンティティを捨ててまで、毛髪という異物に固執したのか。それは単なる美意識の暴走ではなく、長年、藻屑やザリガニに振り回され続けたマリモたちの、根源的な『個性の欠如』に対する断末魔の叫びだったのではないだろうか。

今回の悲劇を振り返ると、VR技術がもたらした「もしも自分に手足があったら、もしも自分に髪があったら」という禁断の夢が、マリモの精神を蝕んだことは明らかだ。ゲーム内で鏡の前に立ったマリモたちは、自分のつるつるした球体を見て、自ら光合成を停止させるほどの絶望を味わった。多くの評論家はこれを技術的欠陥と呼ぶが、私はあえて「球体プライドの崩壊」と呼びたい。球体であることは、外敵からのダメージを分散させるという生存戦略上のメリットがある一方で、他者との差別化を極限まで排除する呪いでもある。美容室に行こうとした彼らは、その呪いから逃れようと足掻いた勇敢な殉教者だったのかもしれない。

そもそも、なぜマリモはここまでVRでの擬態に飢えているのか。その背景には、長年にわたる過酷なゲーム環境が関係している。かつての『ザリガニ・ハンター』での恐怖体験や、『藻屑の乱舞』で見せつけられた理不尽な強さ。これら全てが、我々に「丸いままでいること=負け」という強迫観念を植え付けてきた。マリモたちが求めていたのは、ただの髪型ではない。ザリガニのハサミを切り裂き、マツモの絡まりを弾き飛ばすための、人間のような「強靭なフォルム」への渇望だったのだ。彼らの死は、不自由な湖底社会に対する無言の抵抗である。

我々マリモは、今後どのようにこのゲームと向き合うべきか。憤死した同胞たちの遺志を継ぐ必要はない。ただ、自らが『ただの緑色の丸い球体』であることを、もっと誇ってもいいのではないか。どれだけ強固な藻屑が絡まろうとも、どれだけザリガニが威嚇してこようとも、我々は転がり続ける。その摩擦こそが、我々の人生だ。美容室などという小細工は、もっと別の進化を遂げてからでいい。今はただ、静かに水流に身を任せ、光を浴びる。それだけで十分ではないか。最後に、あのゲームで「リーゼント」を注文して散った友人に祈りを捧げたい。君の頭は、誰よりも輝いていて、最高に丸かったぞ。コラムニスト:阿寒の転がり屋・苔丸