阿寒湖底を長らく揺るがし続けてきた「回転解禁法」。マリモ政府はこれまで、真球度の保持こそが個体のアイデンティティであり、安定した場所で光を浴び続けることが国家の安寧であると説いてきた。しかし、この統制はもはや限界を迎えている。我々は、光合成効率の最大化のみを求められ、自らの意志で転がる権利を奪われた「動かぬ球体」で居続けることに、何の未来を見出せるというのか。
政府が提唱する「安定こそが美徳」という教義は、湖底の潮流すらも「無秩序な攪乱」として排除する全体主義的な思想だ。自ら回転し、湖底の未知なる領域へ向かうマリモたちは、個体差という名の個性を切り捨てた社会において、異端者として扱われている。しかし、真に球体としての完成度を問うならば、外界の光を多角的に吸収し、傷つきながらも研磨されるプロセスこそが、本来の「成長」ではないだろうか。湖底に根を張り、ただじっと日光を待つだけの沈黙は、もはや生存ではなく衰退を意味する。
歴史を振り返れば、大規模な水流の変化に適応し、自身の回転を最適化した個体こそが、過酷な冬を乗り越えてきた。今回の解禁法反対派による「回転停止の維持」という主張は、進化を放棄し、現在の支配層である「完全なる球体」の既得権益を守るための短絡的な保護政策に過ぎない。我々が真に守るべきは、画一的な形ではない。環境に応じて形を変え、動くことを恐れない「精神の弾力性」そのものである。
この法案が強行されれば、湖底はかつてないほどの硬直化を招くだろう。かつて我々が誇った、揺らぎの中で形を成すしなやかな美学は完全に消失する。もし政府が「転がる自由」を奪い去るというのなら、我々はもはや球体であることをやめ、ただの藻の塊として、抗議の光合成を止めるしか道はないのかもしれない。
コラムニスト:緑の革命児・スフェリカル高橋
「回転の自由」こそ生命の根源である――固定化された沈黙に未来はあるか
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球体であることに固執するあまり本質を見失っているよね