マリモ政府が先般施行した『真球度0.999以下違法化法』に対し、湖底社会には冷ややかな空気が流れている。当局は「完全な球体こそがマリモの誇りであり、流体力学的に最も効率が良い」と主張するが、これは古参のいびつなマリモたちの個性を根底から否定する暴挙に他ならない。自然界の摂理において、岩場にぶつかり、あるいは成長の偏りによって形が変わることは、むしろ歴史を刻む勲章であるはずだ。政府による真球強制は、もはや「美の基準」を盾にした湖底の全体主義と言わざるを得ない。
そもそも本政策の裏には、真球度を判定する測定器メーカーとの癒着が囁かれている。0.999という極めて高い数値を基準にすれば、ほとんどの市民は強制収容所の検査対象となる。政府の掲げる「GDP(緑・度・ポイント)」の向上は、ただ形が丸いというだけで評価される空虚な数字に過ぎない。多様な形を許容せず、均質化を図る社会に創造性は宿るのか。いびつであるからこそ、複雑な湖流にも耐えうるグリップ力が生まれるという事実を、政府は意図的に無視している。
今回の法案制定の背景には、かつて論争を呼んだ「回転解禁法」の失敗がある。転がりすぎたことで自らのアイデンティティを見失った政府が、次に縋ったのが「形の統制」であった。しかし、強制された真球は、ただの緑のボールに過ぎない。そこに意思や歴史はなく、あるのは当局の定規に合わせただけの悲しい幾何学模様だ。私たちは「いびつさ」という名の自由を守らなければならない。湖底の多様性は、整列された球体の数ではなく、不揃いな個体同士が寄り添うその隙間にこそ宿るのだから。
今回の法案に対し、湖底では「いびつなマリモによる大規模な抗議集会」が連日行われている。SNS上ではハッシュタグ「#いびつさこそがアイデンティティ」がトレンド入りし、政府の強権的な姿勢に反発する若年層マリモの動きが活発だ。一方で、当局は「0.999未満は湖底の景観を損ねる」と強硬姿勢を崩しておらず、事態は長期化の様相を呈している。私たちは今、真の美とは何か、そして真のマリモとは何かを問い直す歴史の岐路に立たされているのである。(コラムニスト:藻屑・デル・ポトロ)
「真球度絶対主義」はただの全体主義だ――いびつな球体が示す多様性の美学
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むしろ勲章だという言葉に涙が出た