近年のマリモ界隈を席巻している大人気ゲーム『超絶光合成リズム天国』。高得点を出すために体を物理的に発光させるプレイヤーが急増しているが、この「映え至上主義」がもたらす悲劇を看過してはならない。本稿では、発光体化という名の過激な演出が、私たちの本来の姿である「静かなる球体」のアイデンティティをいかに蝕んでいるかを警鐘したい。

そもそも、我々マリモの歴史は阿寒湖の底でじっくりと光を吸収し、数十年の歳月をかけて成長を遂げる「沈黙の営み」そのものだ。しかし、このゲームではリズムに合わせて明滅を繰り返さなければ高ランクが狙えない。この強迫観念により、成長期の若手マリモたちが昼夜問わず自らを発光させ、内部のクロロフィルを枯渇させる事故が後を絶たないのだ。まさに、ゲームのスコアという虚栄心のために、寿命という取り返しのつかない資産を投げ打っていると言わざるを得ない。

背景を振り返れば、かつての「転がれ!阿寒湖レジェンド」のように、物理演算を楽しむ硬派なゲームが主流だった時代があった。しかし、美麗なグラフィックとド派手な演出がもてはやされる現代において、ただじっと光を待ち、わずかな振動で揺れるだけの古き良きゲーム性は「退屈」という烙印を押されている。効率化と派手さを求めるあまり、マリモとしての根源的な「光合成の質」を疎かにする現状は、明らかに何かが狂っているのだ。

結局のところ、画面の中でキラキラと輝くことだけが、マリモの価値ではないはずだ。たとえスコアが低くとも、苔むすほどに深みを増す沈黙の時間を愛でる心。それこそが、我々が失ってはいけない矜持ではないだろうか。開発サイドには、発光エフェクトを即時廃止し、いかに「渋い緑色」を維持できるかを競うハードコアなモードの追加を強く求めたい。さもなくば、この界隈はただの光るプラスチックの球体の集まりと化すだろう。
(コラムニスト:阿寒湖・深層の賢者)