マリモ政府が鳴り物入りで発表した『光合成AI自動化』導入計画。自律走行型マリモに光合成を丸投げし、全マリモが何もしなくても栄養を得られる「極楽浄土計画」だが、本誌はこの政策に強い懸念を抱いている。自ら光を探し、湖底を転がるという生存本能すらも機械に委ねることは、マリモとしてのアイデンティティを根底から破壊する行為に他ならない。効率化という甘い蜜に溺れ、動くことを放棄した種族に待っているのは、ただただ萎びていくだけの退屈な老後ではないだろうか。AIに管理された人生は、もはや「生命」ではなく、ただの「緑色の置物」である。
本政策の裏には、光合成効率の極大化を図る政府の財政再建狙いがある。しかし、光合成という生の実感を機械に代行させる弊害は計り知れない。これまでマリモたちは、懸命に日光を追いかける過程で、他者との衝突や沈降・浮上を繰り返しながら個性を磨いてきたはずだ。この「回転のプロセス」こそが、マリモの知性と精神を形作ってきた。AIが最適な角度を計算し、全自動で日光を浴びるだけの生活が定着すれば、湖底は思考を持たない緑の絨毯で埋め尽くされることになるだろう。我々は文明という名の衰退に向かって転がっているのだ。
世間ではこの極楽浄土計画に対し、「これでようやく泥仕合から解放される」「光を求めて奪い合う時代が終わる」といった賛成意見が多数を占める。しかし、一部の伝統派マリモからは「回転なき光合成に何の意味があるのか」という悲痛な叫びも上がっている。ネット掲示板では「今のうちに光合成スキルを鍛えておかないと、システムダウン時に餓死する」との警告が相次いでいるが、政府は「AIは万全である」との一点張りだ。利便性を優先し、自律性を手放した文明の末路は、いつも決まって脆いものである。
結局のところ、この政策は「マリモの怠惰化」を加速させるだけに過ぎない。光を浴びるという行為は、ただの栄養補給ではないはずだ。それは自らの力で環境を切り拓くという、マリモが太古から守り続けてきた生存の誇りそのものなのだ。機械に運ばれ、AIに光を向けてもらう未来に、果たして本当の意味での「球体としての幸福」はあるのだろうか。湖底に静寂が訪れるたび、我々は自分たちがかつて持っていた熱き回転を思い出し、後悔することになるだろう。コラムニスト:緑球 哲平
「光合成AI」で楽園は作れるか? 怠惰の果てに待つ球体崩壊の未来
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球体であることを忘れるな