阿寒湖のマリモ政府が推し進める『円周率暗唱義務化』と、それに続く『究極の球体至上主義』法案に対し、湖底の知性派マリモたちから異論が噴出している。政府は「完璧な球体こそがマリモの美学であり、暗唱による脳(?)の活性化が球体維持に寄与する」と主張するが、これは単なる形への執着に過ぎない。本来、マリモの歴史は多様な環境に適応し、時に歪み、時にひび割れながらも生き抜いてきた生命の物語であるはずだ。
現政権の政策は、効率化を求めるあまり『個の個性』を圧殺する全体主義的な色彩が強すぎる。円周率を完璧に暗唱できなければ「球体としての資格がない」とみなされる社会など、もはやマリモの楽園ではなく、窒息寸前の強制収容所ではないか。私たちは今こそ、球体という強迫観念から脱却し、たとえデコボコであっても個々の生命を尊重する『不完全さの自由』を宣言すべき時である。これ以上、政府の「回転と暗唱」という教条主義に踊らされるわけにはいかない。
球体への過剰適応は、湖底の多様性を喪失させ、遠い将来には遺伝的腐敗を招くリスクすらある。かつてのアカデミズムにおいて、マリモは「自然のままの成長」を是としてきた。しかし、今の政策は過保護かつ管理志向が強く、自然の摂理を無視した人為的な美観維持に偏っている。このままでは、私たちはただの無機質なボールに成り下がるだろう。
この過激な排他主義に対して、湖底の住民たちからは「もっと自由に光合成をしたいだけなのに」「暗唱中に回転が止まって罰金を取られた」といった悲痛な叫びが相次いでいる。一方で、保守的な古参マリモからは「形が崩れるのは退廃の始まりだ」という強硬な意見も根強く、世論は真っ二つに割れている。この不毛な球体崇拝の果てに、どのような未来が待っているのか。私たちは今、湖底の静寂の中で、己の形状が問われる重大な局面に立たされているのである。(コラムニスト:緑の革命家・マリモル)
「球体こそが至高」という呪縛を解け!—『円周率暗唱義務化』がもたらす湖底の思考停止
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不完全な個体はただのコケだ