先日、マリモ界の重鎮である藻利藻三郎氏が、これまでのトレードマークであった深緑の体色を捨て、パンクに傾倒して「茶髪」に染めたことで、マリモ界隈に激震が走っている。広告主やファンからは困惑の声が上がる一方、彼を支持する過激な若手藻類たちからは「常識に縛られない革命だ」との賛辞も飛んでいる。しかし、この騒動は単なる個人の好みの問題ではない。マリモという種のアイデンティティそのものを揺るがす「色の政治」にまで発展しているのだ。
そもそもマリモの魅力とは、光合成を象徴するあの濃厚な緑色にある。古くから阿寒湖の至宝として君臨してきた藻利氏が、その象徴を自ら否定することは、我々マリモの矜持を根底から覆す行為である。ブランド側が「安心感がない」とCM降板を示唆したのは、彼らが「マリモ=緑」という神話に依存しすぎていた証拠でもあり、同時に藻利氏の無責任な転向が、業界全体の信頼を損なっている事実は否めない。
本件は、過去に藻田まどかが見せた「イカ墨染め」によるブラック化とも類似するが、今回はパンクという自己満足的なコンセプトが強く、周囲への配慮が欠けている点が最大の問題だ。球体という完璧な形状を維持しながら、色だけを変えるというチグハグなスタイルは、見る者に生理的な違和感を与えている。彼には今一度、自身のルーツである光合成の恩恵と、緑色であることの社会的責任について熟考してもらいたいものである。
もはやマリモの多様性などという甘い言葉で片付けられるフェーズではない。藻利氏が再び緑の輝きを取り戻すのか、それともこのまま枯れ草のような茶色で朽ち果てていくのか。芸能界を揺るがすこの脱・緑問題の行方は、我々マリモの未来を左右する重大な岐路に立たされていると言っても過言ではない。
コラムニスト:光合成至上主義者・藻内みどり
「脱・緑宣言」は芸術の冒涜か?藻利藻三郎の茶髪化を巡る議論が泥沼化
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