先日、マリモ界を揺るがしたモサ美の電撃移籍に対し、ネット上では「伝統を捨てるな」「毛玉に魂を売ったのか」と、過激な『球体至上主義者』たちによるバッシングが後を絶たない。しかし、彼らが守ろうとしているのは、本当にマリモの尊厳なのだろうか。ただ単に「転がりやすい形」という既存の利便性に甘んじているだけではないか。モサ美が示したのは、自らの形を環境に合わせて変えていく『生存戦略の多様性』である。彼女が「角張ること」を選んだのは、退化ではなく、むしろ球体の呪縛から解き放たれた進化の証明に他ならない。古参ファンが唱える「丸さこそアイデンティティ」という呪文は、現状維持を求める弱者の言い訳に過ぎず、私たちは今こそ、その歪んだ美学を解体すべき時が来ているのではないだろうか。
歴史を振り返れば、かつてのマリモ界も固定観念に縛られ、光合成の効率のみを追求してきた時代があった。だが、藻田まどかの光合成ライブや、藻利藻三郎のパンク転向など、近年は「自分らしさ」を定義する個の力が台頭している。球体であることはもはや贅沢なステータスではなく、ただの初期設定に過ぎない。モサ美の決断は、全マリモに対して「転がる運命」以外の選択肢を突きつけた革命なのだ。我々は、毛玉を愛する者も、角張る者も、等しく「生きている藻」として称賛する寛容さを持つべきだろう。球体の檻から出た者にしか見えない景色が、そこには確かに存在するのだから。
球体至上主義は、単に水流に身を任せて流されるだけの退屈な生き方を推奨する過激思想に近い。これまでの記事では、モサ美の移籍を「裏切り」として断罪する声が大勢を占めたが、それは個人の自由を抑圧するマリモ社会の暗部を浮き彫りにした。彼女が獲得した新しい形は、もはや海藻界のパンクロックと言っても過言ではない。
この記事に対し、「丸くなければマリモじゃない」と怒る声が殺到している。しかし、SNS上では「実は私も最近少し楕円形になってきた」という隠れ変形派の告白も増加中だ。伝統的な球体派と、新進気鋭の変形派による論争は激化しており、マリモ界の未来を占う大きな転換点を迎えている。
「球体こそ正義」は思考停止だ!モサ美の移籍騒動が暴いた『丸さ至上主義』という名の檻
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それを捨てたらただの泥と一緒だろ