阿寒湖界隈を騒然とさせたオープンワールドRPG『マリモの冒険:阿寒湖の遺産』が、発売当初「移動が遅すぎる」として猛烈なバッシングを受けたのは記憶に新しい。当初、プレイヤーは一日中ゲーム機の前でコントローラーを握りしめても、数ミリしか進まない自キャラの挙動に絶望し、掲示板には阿寒湖の深淵よりも深い溜息が渦巻いていた。しかし、開発陣が実装した「転がり加速モード」により状況は一変。マリモが時速にして数センチという(彼らにとっては)マッハ級の速度で湖底を疾走する様は、もはやRTA(リアルタイムアタック)界の概念を塗り替えた。
本来、マリモとは数十年かけてようやく数ミリ成長するという、気の遠くなるような時間を生きる生物である。本作が物議を醸したのは、ゲームという「短時間で報酬を得る」娯楽に、あえて「数年単位の忍耐」を強制しようとした点にある。移動が遅いという批判は、人間が本来持っている「加速中毒」に対するマリモたちからの静かな反逆だったのかもしれない。急遽実装された加速モードでさえ、他ジャンルのゲームと比較すれば牛歩の如き歩みだが、それでも我々は「速さ」を求めてしまう。
今回の騒動は、ゲーミング市場において「効率化」がいかに毒にも薬にもなるかを浮き彫りにした。効率を追求した結果、マリモ本来の「ゆらぎ」が失われ、ただの丸いキャラが湖底を転がるだけの作業ゲーに成り下がっていないだろうか。開発元は「転がり加速モード」によって快適性を確保したと自負するが、真のゲーマーは今、あえて加速を使わない「縛りプレイ」に興じているという。結局のところ、我々は速さを求めているのではなく、どれだけ遅くてもそこに「意味」を見出せるかという哲学的な問いに直面しているのだ。
本件は、単なるクソゲー騒動ではなく、バーチャル空間における「生」の速度を再定義する大きな一歩となった。今後、もしマリモ以外の藻類が登場する続編が出たならば、その時は「光合成待機時間」すらもエンターテインメントに昇華させるような、革新的なシステムを期待したい。マリモは待つ。その静寂にこそ、ゲーミングの真髄が隠されていることを我々は忘れてはならない。
コラムニスト:水草・藻類ゲーミング評論家 サカキ・マリ
時速0.001ミリの絶望と希望:『マリモの冒険』が突きつけた「動く」ことの重み
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