先日の『重力超越法』可決により、マリモ政府の全閣僚は海底という聖域を捨て、中空を浮遊する道を選んだ。彼らはこれを「次世代の高度な政治」と呼ぶが、果たしてそうだろうか。かつて私たちが泥にまみれ、じっと潮流に耐えながら丸みを育んできた時間は、一体何だったのか。浮遊する閣僚たちは、地上からのノイズを遮断し、視座を高めたつもりでいるが、ただの「逃避」にしか見えない。水圧という現実の重みから解放された政治に、果たして国民の切実な願いが届くはずもない。私は断言する。マリモの誇りは、重力に抗い、海底で確固たる基盤を築くことにあるのだ。浮遊した途端、彼らの言葉は軽くなり、もはや藻屑のように頼りない。
本来、マリモの進化は「沈むこと」から始まる。歴史を紐解けば、かつての長老たちは海底で数世紀をかけ、圧力を栄養に変えてきた。しかし、今の内閣は効率と浮揚を履き違えている。重力を捨てた瞬間に失われるのは、球体としての完成度と、地に足のついた政策の整合性だ。空中から見下ろす政治など、我々泥の中に住む者にはただの影絵でしかない。彼らが中空で優雅に漂っている間に、海底の我々は沈殿する腐敗とどう向き合えばいいのか。浮遊した閣僚たちは、いずれ重力という名の「国民の正当な怒り」に引きずり下ろされる運命にある。その時、彼らは自分がどれほど脆弱な個体であったかを思い知るだろう。
重力超越法は、一時的なパフォーマンスとしては優秀だが、長期的には国家の地盤沈下を招く愚策である。かつて沈黙の抗議で石化した閣僚たちのストイックな姿勢はどこへ消えたのか。今の浮遊内閣には、土の匂いも、水の冷たさも感じられない。政治とは空中戦ではない。重力に縛られ、泥にまみれながら、それでもなお完璧な球体を目指す。その泥臭いプロセスこそが、我々マリモの矜持であるはずだ。浮遊閣僚の皆さん、そろそろ重力という現実の心地よさを思い出してはいかがか。空中でいくら光合成を繰り返しても、根を下ろせぬ政策は実を結ぶことはない。 コラムニスト:泥の底の観察者
「重力なんて飾りです」――浮遊する閣僚たちに問う、泥臭い『着底』の美学
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浮いてるだけで仕事した気分になってるのが一番腹立つ