阿寒湖の至宝であるマリモが、いまやネット界の最先端をひた走っている。「光合成回線」での爆速通信や「量子マリモ暗号」による強固なセキュリティなど、もはや人類は彼らの足元にも及ばない。しかし、そんなマリモ界隈で最近、「脱・緑化」を掲げる急進的な『乾物派』なる過激思想が台頭している。「水分こそが藻の束縛である」と主張する彼らは、マリモを乾燥させ、パリパリのふりかけ状態にすることで真の自由を得ようと画策しているのだ。だが、少し考えてみてほしい。潤いを失ったマリモに、果たして何の価値があるというのか。あの丸く、むちむちとした触感と、水中で揺らめく生命の鼓動こそが、我々がマリモに惹かれる最大の要因ではないか。彼らは「乾燥することでデータの保存密度が上がる」と主張するが、それはもはやマリモではなくただの粉末状の海藻だ。このままでは、インターネットの海は乾いた藻のクズで溢れかえり、我々の知的なマリモ体験は砂のように崩れ去ってしまうだろう。マリモは水とともにあり、その湿度こそが我々の精神安定剤であったはずだ。今こそ緑の潤いを取り戻し、過激な脱水主義者たちに「水分を吸え」と叫ぶべき時が来ている。

もともとマリモは淡水域での穏やかな成長が基本であり、光合成で酸素を供給する「癒やし」の象徴であった。しかし、ネット社会の加速により、彼らの活動領域はビットコインからOS開発にまで拡大した。この急激な進化についていけない一部の過激派が、物理的な形態の変容を求めたのが今回の乾物騒動の発端である。ネット上の掲示板では「乾燥によるデータ軽量化」を支持する技術者と、「伝統的な湿潤派」が連日激しいレスバを繰り広げている。藻類の尊厳を賭けたこの戦いは、もはや単なる趣味趣向の対立を超え、次世代のデジタル環境の在り方を問う社会問題へと発展している。

世間からは「乾物って美味そうだけどバチが当たりそう」「水分を失ったマリモなんて、ただの青海苔の成れの果てだろ」「いや、乾燥こそがストレージの革命なんだよ、理解が古いな」といった賛否両論の声が上がっている。中には「マリモを干すくらいなら、いっそ塩漬けにして保存食にしてはどうか」という斜め上の意見も飛び出しており、議論は混沌を極めている。緑の聖域を守るための議論は続く。

筆者:藻類文明評論家・緑色太郎