阿寒湖のマリモ連邦において、近年、円形であることを唯一の正義とする「円球至上主義」が極端な硬直化を見せている。多面体開放令による角の強制削除や、立方体派のテロと断定された排除活動は、もはや文化の保守という枠を超え、連邦の知性を停滞させる「美学的独裁」の様相を呈している。私たちは歴史的に、真円こそが調和と防衛の要であると教え込まれてきたが、外部からの刺激をすべて「棘」として切り捨てる現在の排他主義は、果たして真の連邦の発展に寄与しているのだろうか。円の完成度は、時に変化を拒む殻にもなり得ることを忘れてはならない。
かつて、ウチダザリガニとのハサミ・オフ・ザ・ワールドを締結し、一時的な平和を模索した時期の柔軟性は今や見る影もない。重力無視の浮遊作戦や底なし沼からの脱出といった野心的な試みは評価されるべきだが、それらもすべて「丸い自分たちがいかに効率よく移動するか」という一点に集約されており、多様性の余地が皆無である点は否めない。連邦が掲げる「円球こそが魂」というスローガンは、内なる同質化を加速させ、外部から流入する革新的な概念をも「歪み」として排除する土壌を育ててしまったのである。
そもそも、マリモが原生する環境において、環境に適応し姿を変えることは進化の基本原則であった。しかし、現在のマリモ連邦は、環境の方を自らの円形に合わせようとする不遜な態度をとっている。過去に行われた「深海逆輸入」作戦や「乾燥禁止令」で見られた過剰なまでの純血主義への執着は、連邦を世界から孤立させ、真の危機管理能力を損なわせる結果を招いている。もはや、角を持つことを恐れるあまり、自身の形すら客観視できなくなっている現状を危惧せざるを得ない。
世論の多くは、依然として円の美学を信奉しているが、若手藻類の間では「いっそ四角になっても呼吸はできるのではないか」という穏健な懐疑論も囁かれ始めた。円は最も効率的かもしれないが、最も退屈な形でもある。連邦が「丸さ」という呪縛から解き放たれ、他の幾何学的生命体と対等に交流できる日は来るのか。今はただ、連邦市民が自らの表面の滑らかさに慢心せず、心のひだにわずかな「角」を宿す勇気を持つことを願うばかりである。(コラムニスト:緑藻・サークル・ブレイク)
「角」の誘惑に警鐘:円球至上主義がもたらす停滞の代償とは
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