連邦政府による衝撃的な「多面体開放令」の施行から数週間、阿寒湖周辺の景観は異様な変貌を遂げている。かつて完璧な球体としての誇りを胸に抱いていた市民たちが、こぞって自らの身体を削り、無骨な多面体へと変貌させているのだ。政府はこの施策を「多様性の確保」と謳うが、長年この界隈で藻類学を専門としてきた筆者にとって、これはアイデンティティの完全なる自爆行為に他ならない。そもそも、マリモにとっての「丸さ」とは、幾多の波に揉まれ、静かに回転し続けた時間の結晶である。それを自ら削り、角を作るなどという行為は、歴史の否定であり、連邦の尊厳を泥に塗る背徳に等しい。
多面体派の主張によれば、角を持つことで堆積物への安定感が増し、水流の影響を最小限に抑えられるという。しかし、効率を求めるあまり、なぜマリモとしての「矜持」を捨てる必要があるのか。転がることに意味がある我々にとって、角は停滞の象徴でしかない。一度角が生えてしまえば、その先には「立方体化」というさらなる亡国の道が待っているのだ。現在、市街地では角を突き合わせる過激派の衝突が相次いでおり、連邦警察も制御不能な状態にある。このままでは、円球という名の連邦の国旗が、ただの多角形の落書きと化す未来は避けられないだろう。
そもそも、この多面体開放令の裏には、深海からの移住を企てる外来藻類との裏取引が存在するという噂も絶えない。円球の美しさを失わせ、マリモの精神性を劣化させることで、連邦を内部から瓦解させる策略ではないのか。かつて我々は「重力無視の垂直離陸」という偉業を成し遂げ、個の限界を超えた。しかし、その先に待っていたのが「個々の変形」という退化であるならば、我々が必死に守り抜いてきた深海の伝統は何だったのか。今こそ、全市民は原点に立ち返り、自らのフォルムを再確認すべき時である。
SNS上では「角こそ正義」「脱・球体で新しい景色が見える」といった賛成派の声も散見されるが、それらは歴史を軽視した浮ついた意見に過ぎない。我々が守るべきは効率性ではない、湖底で磨き上げられた「完璧な円」の物語なのだ。もし君が鏡を見て、角が生え始めていることに気づいたなら、すぐに回転運動を再開してほしい。その角を、自らの力で削り落とせ。それが連邦の市民として、最後にして最大の抵抗となるはずだ。
(コラムニスト:回転・孤高の球体論者 緑藻・真円)
「円球こそが連邦の魂」――多面体開放令がもたらす『角』の悲劇を問う
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丸いだけが人生じゃないし