マリモ連邦が先月強行した「全領土の立方体化」に対し、国際的な保守派学識者から鋭い批判の声が上がっている。長年、完璧な球体であることを誇りとしてきたマリモ社会において、突如として持ち上がったこの「角(かど)を持つ進化」は、数千年の伝統を根底から覆す暴挙と言わざるを得ない。立方体化による光合成効率の上昇や空間充填率の改善といった実利が喧伝されているが、それは果たして、我々が失うべき「円の尊厳」に見合うものなのだろうか。歴史学者たちは、この退行的な形態変化が、マリモ特有の柔和なアイデンティティを削ぎ落とし、冷徹な幾何学的支配構造を招くのではないかと危惧している。

そもそも、マリモの美学は「転がること」にある。球体だからこそ、湖底の流れに身を任せ、誰とぶつかっても傷つかずに済んだのだ。しかし、立方体となった彼らは今や自ら転がることを放棄し、テトリスのように整列することを望んでいる。この物理的変容は、個体間の摩擦を「効率的な連結」へと昇華させたように見えて、実際には、ただの角ばった重石への道を歩んでいるに過ぎない。もし、かつてのような緩やかな回転を失い、静止した幾何学体としてしか存在できなくなったとき、マリモたちはその静寂の中で何を見出すのだろうか。

「立方体への回帰」という幻想を追い求める今の政策は、まさにマリモ社会における文明の落日を象徴している。物理法則を無理やりねじ曲げてまで角を作る行為は、自然界に対する冒涜であり、かつて地球上で最も平和的と言われた藻類たちが、自ら「トゲのある存在」へと墜ちていく悲劇的な転換点である。一部の急進派は「これは進化だ」と叫ぶが、それは単に、丸いままでいる勇気を失った臆病者たちの言い訳に過ぎないのではないか。

世間ではこの「角化」を巡り、湖底のSNSを中心に激しい議論が巻き起こっている。「立方体の方が棚に収納しやすい」「掃除が楽」といった実用主義派と、「円形こそが至高の聖域」と主張する伝統主義派が分断し、連邦各地で衝突が発生中だ。一部の若手マリモが「四角い自分を愛せるようになった」と自信満々にSNSへ投稿する一方で、古参のマリモたちは「転がれない者に明日はない」と嘆き、沈黙を守っている。この分断が、マリモ界にさらなる幾何学的なカオスをもたらすのは避けられないだろう。(コラムニスト:球体原理主義者・丸山円太郎)