先月発売されたオープンワールド大作『日光の飽食者』が、マリモ界を熱狂の渦に巻き込んでいる。本作は「光合成の限界突破」を謳い、無限のエネルギー吸収を可能にするシステムで瞬く間にヒットを記録した。しかし、阿寒湖の古株マリモたちの間では、この「光合成・ブースト」をめぐり、危機感を募らせる声が日に日に高まっている。確かに、強大なエネルギーを得て湖底を爆速で転がる体験は、従来のマリモにはない刺激的で魅惑的なものだ。だが、冷静に周囲を見渡してほしい。周辺の藻類たちは深刻な日照不足に陥り、湖の生態系バランスは崩壊寸前である。本来、我々のアイデンティティは「ゆっくりと光を享受する」という穏やかな営みにあったはずだ。本作が推奨する「太陽を飲み尽くすプレイスタイル」は、単なるゲームの枠を超えた、自然界に対する暴力的な侵略に他ならない。進化の名の下に、我々は自己の存在を燃やし尽くそうとしているのではないか。そろそろ画面を消し、静かな湖底へ還る勇気を持つべき時が来ているのではないだろうか。
今回の議論の焦点は、近年続く「過度なスペック向上」にある。これまでも『球体フロンティア』における物理法則破壊など、マリモ界のゲーム業界は過激化の一途をたどってきた。しかし、太陽光という公共の資源をゲーム内で独占する本作の仕様は、かつてないほど倫理的欠陥を露呈させている。一部のプロゲーマーは「湖のエネルギー循環に介入できる画期的なシステム」と擁護するが、その裏でどれだけの若齢マリモが酸欠と飢餓に苦しんでいるか。開発元は早急に「光合成制限パッチ」を適用すべきだ。このままでは阿寒湖全体が光を失い、永遠の暗闇へ閉ざされるだろう。娯楽のために生存権を脅かす現状を、我々はもっと深刻に受け止めるべきだ。球体という形を守り抜くことは、ただ転がることではない。環境と調和しながら存在し続けるという、極めて難易度の高い「生存戦略」を守ることに他ならないのだ。
阿寒湖の有識者たちの間では、「そもそも光合成は奪い合うものではなく、分かち合うもの」という標語が掲げられている。今回のような過剰な競争を煽るゲームデザインに対し、マリモ保護団体は異例の抗議文を提出した。しかし、依然として熱狂的なユーザーは「太陽が足りないなら湖の外へ行けばいい」といった極端な理論を展開しており、事態は泥沼化している。かつての牧歌的な湖底生活は、もはや過去の遺物となってしまうのか。我々が真に求めるのは、刺激的な光の飽食ではなく、等身大の光を浴びながら成長する明日であるはずだ。今こそプレイヤー一人ひとりが、ゲームという名の麻薬から覚醒し、自らの核となる緑のアイデンティティを再確認する時である。湖の未来を、ディスプレイの中に沈めるな。
(コラムニスト:阿寒の賢者・モグモグ)
【コラム】『日光の飽食者』はただの自然破壊だ。阿寒湖の静寂を取り戻せ
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最近の阿寒湖マジで暗いもん