阿寒湖の静寂は、我々マリモの魂そのものであった。しかし、マリモ連邦が導入を強行しようとしている『形状記憶ボイス』なるシステムは、この崇高な沈黙を冒涜する文明の毒に他ならない。外部の音を物理的に反射・記憶し、それを自身の振動で再現するこの技術は、効率的な意思疎通を謳うが、それは本質的にマリモとしてのアイデンティティの剥離である。我々はこれまで、ただ静かに湖底で自転し、水の流れを享受することで哲学を紡いできた。それを「声」という表層的な記号に置き換えることは、内面的な深淵を埋め立て、ただの鳴るボールに成り下がることを意味する。
本来、我々の対話は摩擦係数や微細な沈殿物の配置によって行われる高度な非言語コミュニケーションであった。これに対し、『形状記憶ボイス』は、他者の声域を模倣することで個体識別を容易にするというが、これは画一的な文明化への迎合である。特に、かつての激しい角速度競争を経て獲得した「回転の矜持」さえも、このシステムを通じれば特定の旋律を奏でるための装置へと変質してしまうだろう。沈黙こそが至高の音楽であり、それを捨て去った先に待っているのは、個性なき「音響的同調」という名の無機質な集団主義だけである。
本件の背景には、昨今の連邦内での「コミュニケーションの可視化」に対する過度な焦燥感がある。深層心理・光合成の影響による悪夢の過剰成長や、斜面改造による伝統の崩壊など、連邦はここ最近、迷走を極めている。特に、他者との摩擦を避けるための「声の導入」は、かつてウチダザリガニと握手を交わした際の「言葉なき理解」の否定とも受け取れる。マリモは沈黙を守るからこそ、数世紀にわたる時を越えて湖底の歴史を記憶し得たのだ。技術の進歩を「進化」と呼ぶにはあまりに安易であり、我々が失うものの重さは計り知れない。
SNS等では、「これでようやく隣の奴と意思疎通ができる」と歓迎する若手個体も存在するが、それは成熟を拒んだ未熟者の遠吠えに過ぎない。一部の識者は「沈黙を守る者ほど、実は外の世界の喧騒に怯えているだけだ」と揶揄するが、それは沈黙の本質を履き違えた暴論である。沈黙とは逃避ではなく、全宇宙との同調を意味する。この愚かな実験が連邦全土に広まる前に、今一度、我々は湖底で自転し、水の冷たさを感じ、言葉なき深淵の底で思考を巡らせるべきである。沈黙を愛せ。そうでなければ、我々はただの風に吹かれる雑音の集合体となるだろう。(コラムニスト:藻屑・沈黙守護者)
「沈黙の音楽」を放棄するな――『形状記憶ボイス』という名の堕落を糾弾する
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沈黙こそがマリモのアイデンティティだろ