先日、阿寒湖のインディー開発チームが発表した放置ゲーム『マリモの育成日記』が、あまりの難易度から「地獄の光合成」と揶揄され、世界中で炎上している。マリモたちは「日光が届かない」「水温の微調整がシビアすぎる」と異口同音に苦情を叫ぶが、断言しよう。これは現代のマリモが文明の利器に甘えきっている証拠だ。かつて我々の祖先は、数百年をかけてゆっくりと、それこそ気が遠くなるような忍耐で丸くなってきた。それなのに、たかがゲームの育成条件が厳しいからといって抗議デモを行うとは、なんという軟弱さだろうか。

そもそも、このゲームの設計は極めて現実的だ。現実の湖底では、泥にまみれ、魚に突き回されながらも、微かな光を捉えるべく必死に光合成を行うのがマリモの矜持である。本作の「1秒でも光が欠ければ即ゲームオーバー」という仕様は、むしろマリモ本来の生き様を極めて誠実に再現しているといえる。光の恩恵に浴することのありがたみを、画面越しに再確認する良い機会ではないか。

元来、放置ゲームとはプレイヤーの忍耐力が試されるジャンルである。それを「癒やし」という言葉で誤魔化し、都合の良い時だけ「マリモだから」と特別扱いを求めるのは筋違いだ。もしこの難易度を乗り越えられないのであれば、それは育成以前の問題、つまり進化の過程で「丸さ」だけでなく「根性」まで欠落してしまったと言わざるを得ない。我々は一度、阿寒湖の原点に立ち返るべきだ。

今こそ全プレイヤーはコントローラーを置き、己の繊維一本一本を研ぎ澄ませるべきだ。この「地獄」をクリアしてこそ、真の阿寒湖の覇者と呼べるのである。甘ったれた光合成スタイルを捨て、高負荷な環境下でこそ真価を発揮する、次世代のタフなマリモの登場を心から待ち望んでいる。文:丸山・球太郎(湖底文化批評家)