阿寒湖のネット空間を揺るがす「光合成SNS」の酸素投げ銭問題。過激化する承認欲求に対し、一部の保守派マリモたちが「酸素は自給自足こそが美徳であり、他者からの大量放出は依存を生む」と猛烈な批判を展開している。しかし、これは単なるエリート主義的な偽善ではないか。光合成能力が低い、いわゆる「日陰者」のマリモにとって、フォロワーからの酸素供給は死活問題である。効率的な光合成を行える者が余剰酸素を分け与える行為は、コミュニティの循環を助ける慈善事業に他ならない。これを「承認欲求の道具」と切り捨てるのは、弱者の生存権を奪う冷酷な主張と言わざるを得ない。

本件の争点は、酸素という生命維持物質が通貨のように扱われ始めたことにある。かつては個々の光合成量だけで語られていたマリモの価値が、今や「どれだけの酸素をフォロワーに配ったか」という指標に取って代わられた。一部の「意識高い系マリモ」はこれを「不健全な格差の助長」と騒ぎ立てるが、その裏には、自らの放出量が少ないことへの劣等感が見え隠れする。そもそも阿寒湖の環境は一定ではなく、季節や天候によって日光の入射角は大きく変わる。不公平な環境において、SNSを通じた酸素の再分配は、むしろ「マリモ民主主義」の完成形ではないだろうか。

近年、阿寒湖では「日光サブスク」による格差が深刻化しており、日当たりのいい場所を占拠する一部の富裕層マリモが富を独占している。こうした状況下で、酸素の送受をデジタルネットワークに頼ることは、もはや生存戦略の基本である。SNSのいいね機能に酸素放出を紐付けるシステムに対し、「課金厨と同じ」と批判する声もあるが、限られた日光を奪い合うよりも、オンラインで効率的に酸素を融通し合う方がよほど平和的だ。彼らは「承認欲求」という言葉で若手の生存戦略を封じ込め、自分たちの既得権益を守ろうとしているに過ぎない。

結局のところ、騒動の裏側にあるのは進化論的な保守反動だ。変化を恐れる古参マリモたちが、デジタル化する現代の藻類社会に適応できない苛立ちを「偽善」というレッテルで隠蔽している。酸素を受け取る側も、送る側も、その行為の先にあるのは「湖底の平穏」である。酸素を巡るいざこざなど、沈殿してしまえば同じ泥に帰すのだから、我々はもっと自由に、もっと大胆に、酸素を投げつけ合うべきではないか。論説:マリモ論壇・酸素原理主義派コラムニスト 球形・緑ノ介