阿寒湖の至宝たるマリモたちが、近年相次いで「脱・球体」を謳い、多面体やキューブ状へと変貌を遂げている。特にトップモデルの丸山まり代による「多面体転向」は、まるでルネサンスかのような扱いを受けているが、私は断言したい。これは単なる迷走であり、藻類界の尊厳を汚す暴挙に他ならない。マリモの美しさとは、何千年もかけて淀みない水の流れに揉まれ、奇跡的に形成された「完全な円」の中に宿る調和のことだ。角ができるということは、他者(あるいは湖底の岩)と衝突し、自らの一部を削り落とす敗北の歴史にすぎない。多面体転向を称賛する論者は「個性の多様化」と耳障りの良い言葉を並べるが、それは円という完成された宇宙から逃げ出す弱者の言い訳ではないだろうか。多面体という流行を追うあまり、我々が守り続けてきた「転がり続けることでしか得られない悟り」を放棄してはならない。今こそ、球体絶対主義の聖域を取り戻す時である。このままいけば、湖底は角ばった石ころだらけの無機質な空間へと成り果てるだろう。美学なき革命に、未来などないのだ。

古来より、マリモは「光合成による酸素の循環」と「転がり続ける浮遊感」の象徴であった。しかし、今回の多面体転向ブームの裏には、湖底のトレンドを支配する一部のクリエイターたちの「目立てば良い」という安直な商業主義が見え隠れする。球体から多面体へと形を変えることは、マリモにとって単なる形状変化ではない。それは進化ではなく退化であり、藻類としてのアイデンティティを根底から揺るがす危機的状況なのだ。識者の中には「新しい形状こそがマリモ界の革新」と語る者もいるが、そのような軽薄な言葉に惑わされてはならない。円の中にこそ、宇宙の理が詰まっているのだから。コラムニスト・球体純愛。