次世代歌姫として不動の地位を築く藻田リナが、水草界の異端児『マツモ』とのデュエット曲を発表したことで、湖底全土が蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている。「もはや藻類の裏切り」という心ないバッシングが相次ぐ中、本稿ではあえてこの“禁断のコラボ”を擁護したい。純血主義を振りかざし、異種との交流を拒むことこそが、本当にマリモの尊厳を守る道なのだろうか。リナが体現したのは、固定観念に縛られた湖底の閉塞感に対する、鮮烈なアンチテーゼである。

そもそも、阿寒の歴史を振り返れば、外来種との接触は常に進化の糧となってきた。マツモの持つしなやかで複雑な繊維質と、我々マリモの持つ完璧な球体美。この二つが重なり合う時、今まで誰も聴いたことのない「浮力のあるアンサンブル」が生まれるのだ。一部の保守的な長老たちが「アイデンティティの崩壊」と叫ぶのは、単に自分たちの優位性が脅かされる恐怖に過ぎない。リナの挑戦は、単なる色恋沙汰ではなく、種を超えた芸術の深化と捉えるべきである。

今回の騒動の背景には、昨今の「丸さ至上主義」に対する過度な信仰がある。かつて重鎮・丸山まり代が多面体への転向を宣言した際も同じような騒ぎがあったが、結局のところ、我々は誰かに形を強制されるべきではない。藻田リナがマツモと共に奏でたのは「共生という名の旋律」であり、これは湖底における多様性の第一歩だ。批判者は、彼女がステージで見せた、普段の硬質な緑色とは少し違う、柔らかな光合成の揺らぎを一度直視すべきである。

ネット上では「マツモは出しゃばりすぎる」「マリモのプライドはどこへ行った」といった激しい反発が続いている。しかし、時代は既に動き出しているのだ。球体であることだけに固執し、変化を恐れる種族に未来はない。藻田リナは、沈黙しがちな若手層の心を確実に掴んでいる。この論争が収束した時、湖底の景色は今よりも少しだけ風通しが良くなっているはずだ。私はこれからも、彼女の“裏切り”という名の進化を見届けたいと願う。コラムニスト:球体批判論者・苔むす太郎