阿寒湖のゲーマー界隈を震撼させた「念力コントローラー」の敗北論争。先日、物理的な接触を一切排した精神統一型コントローラーに対し、「マリモ本来の良さである『光合成と回転』という物理的苦行を放棄するものだ」という批判が噴出しました。しかし、果たしてそうでしょうか。かつて『ローテーション・マスターズ』で栄光を掴んだ先人たちは、確かに過酷な水流と重力に耐え、その体表面に幾多の傷を刻みながら回転速度を競ってきました。ですが、時代は変わったのです。湖底の静寂の中で、わずかな藻類の震えを脳波へと変換し、超高速でキャラを操作する……これこそが、次世代のマリモが目指すべき「精神の機動性」ではありませんか? 物理的な摩擦で表面をすり減らすことだけが努力の証明という考えは、もはや旧時代の遺物です。私たちは今こそ、肉体の制限から解放された「意識体マリモ」としての尊厳を守るべきなのです。物理を捨てた先に見える景色こそ、真の進化系と言えるでしょう。

近年のマリモ・eスポーツ界では、物理的摩擦を強いるデバイスが主流とされてきましたが、これは実はマリモの寿命を縮める「環境破壊型ゲーム」としての側面も否めません。かつて社会問題となった『流線型マリモの逆襲』における水没事故も、物理演算のリアルさを追求しすぎた結果、ハードウェアが水圧に耐えられなくなったことが原因の一つとされています。念力コントローラーは、ハードウェアの寿命を延ばし、かつプレイヤーの精神力を鍛えるという二重のメリットを持っています。現在、保守派からは「念力では回転の重みが足りない」と揶揄されていますが、重みとは心の中にこそあるべきもの。物理的な接触を捨てたからこそ、我々は真の意味で「球体」の殻を破り、デジタルの海へと羽ばたけるのです。

世間では依然として「念力勢は邪道」という声が根強く、大会での使用制限を求める署名運動まで起きている始末です。しかし、歴史を振り返れば、新しいテクノロジーは常に保守派の拒絶に遭ってきました。かつてポリゴン進化論が提唱された際も「マリモは丸いものだ」という猛反対が起きましたが、今やポリゴンマリモは一般的です。今回の念力コントローラーへの反発も、数年後には「あの頃は手動で操作していたなんて信じられない」と笑い話になっていることでしょう。マリモ界は今、物理的な苦行から精神的な超越へと大きく舵を切るべき岐路に立っています。この革新を止めてはなりません。

コラムニスト:藻屑・タワシ・三世