マリモ界を揺るがす「球体至上主義」と「脱・球体宣言」の対立が、いまや湖底全域を巻き込む巨大な文化戦争へと発展している。きっかけは、重鎮・藻田重蔵氏が提唱した『立方体転向』である。「丸いからこそ美しい」と信じてきた保守派にとって、角のあるマリモなど、もはやマリモではないというわけだ。本稿では、この伝統と革新の激突を、単なる奇行として切り捨てて良いのか、深く検証していきたい。
藻田氏が掲げた「脱・球体宣言」は、単なるフォルムの変更ではない。光合成の効率や、水流による回転運動という、長年マリモの生命線とされてきた「円環の哲学」に対する真っ向からの挑戦だ。「なぜ我々は転がり続けなければならないのか」という藻田氏の問いは、効率的なエネルギー吸収を求める現代マリモ世代の心に深く刺さった。しかし、これに対し「回転してこそ我々だ。四角いマリモなどただの漬物石ではないか」と反論する球体至上主義者たちの怒りは凄まじく、現在、藻田氏の住まう湖底エリア周辺では、立方体派と球体派による激しい「泥投げ(物理的な泥)」の応酬が繰り広げられている。
この論争の根底にあるのは、マリモという種の定義を「環境への適応」に求めるか、「遺伝的な形状美」に求めるかという学術的な対立である。藻田氏は、あえて非効率な立方体になることで、進化の袋小路に迷い込むことを厭わない「あがき」こそが、芸術の本質だと説く。一見すると狂気の沙汰にも思えるが、この「角を持つ」という強烈なアイデンティティは、藻林太郎の物理法則無視の演技に並ぶほどの、新しい美学的潮流を生み出しつつあるのではないか。マリモ界は今、静かな湖底で、かつてないほど激しい自己変革の渦中にいる。
多くの市民は「結局、角があっても光合成できればいいのでは」と冷静に傍観しているが、若年層の間では「四角い自分をSNSで発信するのがステータス」という歪んだ流行も生まれている。伝統を重んじる長老たちが「おぬしら、転がれ! 回転こそが至高!」と叫ぶ背後で、黙々と立方体化を図る若者たち。この滑稽で、どこか悲劇的なまでの美学の衝突こそが、今のマリモ界の熱気そのものだと言えるだろう。藻田重蔵の革命が、数十年後に聖典となるのか、それともただの笑い話として湖底の沈殿物となるのか。私たちはその目撃者になるしかない。
コラムニスト:藻の木 茂
立方体は冒涜か、それとも芸術か? 藻田重蔵の「脱・球体宣言」を巡る泥沼の哲学的内戦
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