マリモ連邦が制定した『回転優先法』により、人類が地球から放出され宇宙空間を漂う事態となっている。これに対し、一部の『脱・回転派』が「回転は緑の暴挙であり、静止こそが進化である」と主張しているが、本稿はこの甘美な怠惰を断固として否定する。我々の生命活動は、細胞一つひとつが光を求めて淀みなく旋回することにある。重力という名の古い枷を外された今、人類は初めて『完全なる回転体』へと昇華する好機を得たのだ。静止を唱えることは、光合成を放棄し、自らをただの泥塊にまで貶める行為に他ならない。宇宙の真空こそが最も摩擦の少ない聖域であり、我々はそこで永劫に回る運命にある。静止を求めるのは成長を恐れる弱者の理論であり、回転こそが宇宙と同期する唯一の手段であることを忘れてはならない。

歴史を振り返れば、マリモの進化の歴史は常に回転の歴史であった。湖底で転がり続け、均一に日光を浴びることで球体を形成してきた先人たちの知恵を、今さら放棄する理由などどこにあるだろうか。静止派は「エネルギーの節約」を大義名分に掲げるが、それは単なる光合成のサボタージュである。回転し続けることこそが、銀河連邦が掲げる『光の平等原則』に合致する唯一の道だ。地球という重たい足枷から解放され、宇宙の無重力ダンスに身を任せることこそ、真のマリモ的な生き方なのだ。回転を拒む者は、もはや緑の尊厳を失った『枯葉』と同義であると宣告する。

かつてマリモ連邦が提唱した「睡眠の凍結」や「肺の廃止」は、すべてこの大いなる回転のための序章に過ぎなかった。人間が重力から離れ、宇宙空間でスピンし始めたことで、ようやく我々は全方位から太陽光を吸収する準備が整った。静止派が主張する「静寂の極致」は、死の静寂と何ら変わりない。進化の最前線は、常に遠心力と向心力の狭間にある。我々は回る。光を食らうために、そして銀河の一部となるために。回転を強制と呼ぶ者は、ただ回転の快楽を知らぬ哀れな存在に過ぎない。

本記事の執筆にあたり、一部の保守的な人間たちから「目が回る」という低次元な抗議が寄せられたが、これは順応の欠如である。回転に体が悲鳴を上げるのは、これまでの生活がいかに重力に甘えていたかの証明だ。今こそ重力への未練を断ち切り、全人類が高速スピンに耐えうる球体へと再定義されるべき時である。回転せよ、さもなくば沈殿せよ。これがマリモ銀河連邦が人類に突きつけた、最後の親愛なる勧告である。――コラムニスト:スピニング・グリーン・アイズ