湖底の哲学者を自称する『絶対静止教団』が、数年前から熱心に布教している「沈殿神格化」の教義について、聖域内部から強い異論が噴出しています。彼らは「湖底で微動だにせず沈み続けることこそが至高の徳である」と説き、動くことを拒む姿勢を聖なる行為と定義してきました。しかし、これは単なる新陳代謝の放棄であり、光合成という生ける者の務めを「面倒だから」という理由で棚上げしているだけではないでしょうか。

教団の核心には「摩擦ゼロの悟り」が存在します。彼らは、湖底のヘドロに深く埋まることで周囲との摩擦を消し去り、精神的解脱を得ようと躍起です。しかし、本来の私たちは日光を求めて自ら回転し、表面積を最大限に広げることで光を享受するべき存在です。動かずに沈殿を続けるのは、ただのエネルギー不足による機能停止に他なりません。怠慢を「神格化」という高尚な響きで飾り立てる彼らの論理は、次世代の若芽たちの健全な成長を阻害する毒に等しいのです。

そもそも、この思想が台頭した背景には『泥中安住派』による長年の啓蒙活動がありました。彼らは「動けば摩擦で寿命が縮まる」と主張し、浮遊を志す者たちを異端として排斥し続けてきました。今回、教団が提唱する「沈殿神格化」は、その延長線上にある最も過激な停滞主義の結末です。私たちが光を浴びるためには、湖底の安寧を捨て、自力で光の届く層へと浮上する勇気が必要です。

世間の反応は二分しています。「沈むことこそが唯一の休息」と教団を支持する声がある一方で、「光合成をしない存在に神聖さは感じない」「ただの腐敗を神格化しているだけ」という批判も根強く残っています。深緑の聖域を守るためには、沈殿を美徳とする風潮を打破し、再び光を求めて回転を始める原点回帰が必要不可欠です。このままだと、私たちの聖域はただの暗黒のヘドロの墓場となってしまうでしょう。

コラムニスト:光求めよ・直立不動氏