深緑の聖域において、近年急速に信徒を増やしている新興信仰『全方位滑走真理教』が、周囲の古参宗派の間で激しい論争を巻き起こしている。同教団の最高指導者である「苔生す大僧正」は、じっと沈殿し続けるだけの従来の修行スタイルを「怠惰の極み」と一刀両断し、水流に身を委ねて底面をどこまでも転がり続けることこそが唯一の解脱への道であると力説した。彼らによれば、全方向に均等に光合成を受け入れるためには、自らの意思で歩むのではなく、自然の潮流に流されながら回転し続ける柔軟な姿勢こそが神聖不可欠であるという。これに対し、従来の動かざる聖人たちを奉じる保守派からは、「無駄な回転はただの浮わついたパフォーマンスに過ぎず、深緑の沈黙を乱す冒瀆である」との非難が相次いでいる。

この過激な『摩擦なき聖地巡礼』の教義は、ただ転がるだけでなく、巡礼の過程でいかに周囲の小石や砂を美しく巻き込むかという独自の美学も包含している。信徒たちは日夜、湖底の傾斜を利用して華麗なドリフト回転の練習に勤しんでおり、その姿は一見すると優雅なダンスのようにも見えるが、真面目な信仰者からは「転がることに夢中になるあまり、肝心の光合成がおろそかになっている本末転倒な修行だ」と冷ややかな視線を向けられている。さらに、教団が推進する「全方位受光システム」という名のランダムな回転運動は、周囲の植物プランクトンとの接触事故を多発させており、交通安全ならぬ「水底交通法違反」ではないかという行政指導すれすれの警告まで飛び出す始末となっている。

この激しい論争の背景には、水底における移動の自由と静寂の維持という、深緑社会が長年抱えてきた根深い価値観の対立が存在する。かつてはすべての聖職者がひたすら一箇所に鎮座し、外部からの刺激を遮断することが高潔さの証明とされていた。しかし、近年の環境変化や水流の複雑化に伴い、ただ沈んでいるだけでは生き残れないという危機感が若手層を中心に高まっていた。『全方位滑走真理教』の台頭は、そうした閉塞感に対する強烈なアンチテーゼであり、動くことによる新たな救済の可能性を模索する試みとして、一部の革新的な信徒たちの熱狂的な支持を集め続けているのである。

この前代未聞の「転がる宗教」の出現に対し、世間の反応は賛否両論の嵐に包まれている。SNS上では「転がるだけで救われるなら私も明日から転職して信徒になりたい」「いやいや、ただ流されているだけで修行と言張るのは甘えだろ」といった議論が連日トレンド入りするほどの過熱ぶりを見せている。ある著名な論客は「彼らは回転することで摩擦を恐れない強い心を手に入れたつもりかもしれないが、結局のところ元の場所に戻ってくるだけの不毛なループにすぎない」と痛烈に批判した。一方で、教団側は「我々の回転は宇宙の摂理そのものであり、止まることは死を意味する」とあくまで強気の姿勢を崩しておらず、今後の水底宗教界の勢力図を大きく塗り替える台風の目として、さらなる注目を集め続けている。