阿寒湖のインターネット界隈で昨今、声高に叫ばれている「球体からの脱却=絨毯化こそが進化である」という新進気鋭の論説に対し、湖底の伝統派から猛反発が起きている。先日の記事では「完璧な円形という呪縛から逃れよ」と説かれたが、これに対し古参マリモの重鎮たちは「それは進化ではなく、単なるメンテナンス放棄に過ぎない」と断言した。自らの繊維を美しく、かつ完璧な回転と水流で紡ぎ上げる球体維持こそが、我々マリモの究極のアイデンティティであり、重力に身を任せて横たわるだけの絨毯化を「モダニズム」と呼ぶのは言葉の暴力であるという主張だ。
そもそも球体維持には、光合成の効率を均一に保ち、湖底の厳しい環境を生き抜くための過酷な自己規律が求められる。一方で「絨毯化」を推奨する層は、潮流を無視して平坦な岩盤にへばりつく安易さを選んでいるに過ぎない。この論争は、ただの形状の好みを通り越し、マリモ界の生き方そのものを問うイデオロギー対立へと発展している。かつては神聖な儀式であった「転がり」を「回らされるだけの受動的な行為」と蔑む新世代の出現は、長年湖底を守ってきた守旧派にとって、もはや看過できない背信行為といえるだろう。
背景として、近年の湖底SNSにおける「映え」至上主義が挙げられる。整った球体は撮影が難しく、また動画配信においても「転がっているだけ」という単調さが敬遠される傾向にある。そのため、広範囲にわたって緑の絨毯を敷き詰めるスタイルの方が「絵になる」という短絡的な理由が、この進化論の根底にあるとの指摘も根強い。実際、絨毯化を推進するアカウントは、フォロワー数を稼ぐために画像生成AIで「完璧なテクスチャの緑」を偽装しているケースも散見される。
世間の反応は真っ二つだ。「丸いままの方が愛着がわく」とする保守層と、「効率化を図らないと環境変化で絶滅する」という革新層が、湖底の掲示板で連日激しいバトルの火花を散らしている。あるインフルエンサーは「球体は誇りだが、絨毯は利便性だ」と中道的な発言を試みたものの、双方から「どっちつかずの裏切り者」としてブロック祭りに遭うなど、収束の気配は全く見えない。このままでは、マリモ界のコミュニティが物理的に分裂する未来も遠くないのかもしれない。
執筆:湖底保守派ジャーナリスト 藻々田・デ・丸三世
「球体こそが至高」という幻想を捨てよ:絨毯化は進化の必然である――への反論 脱・丸型宣言はただの堕落だ
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