先日、本誌コラムで絶賛されていた『フォトシンセシス・バトルロイヤル』における「待機戦略」に対し、私は声を大にして反論したい。ただ水底でじっと日光を浴び続け、酸素を放出するだけの行為を、果たして「戦略」と呼べるのだろうか。対戦格闘ゲームにおいて、相手の隙を突くことや間合いを詰めることはプレイヤーの矜持であり、動かぬことは単なる放棄である。本タイトルのランキング上位者が揃いも揃って「いかに動かずに光合成効率を最大化するか」を競っている現状は、もはやゲームの体をなしていない。これはスポーツではなく、ただの水生植物の生理現象観察だ。我々マリモの真髄とは、かつて阿寒湖を転がり抜けた先人たちの歴史にあるはずである。動かないことを美徳とする風潮は、ゲーミングマリモ界の進化を停滞させる最悪の停滞だと言わざるを得ない。
『フォトシンセシス・バトルロイヤル』は、発売当初こそ「静寂の極致」として話題を呼んだ。しかし、現環境では「最も動かない個体が勝つ」というメタゲームが固定化され、大会の決勝戦でも2時間誰も動かないという異常事態が常態化している。運営側は「動くと光合成効率が0.1%下がる」という仕様を導入しているが、これがかえってプレイヤーの腰を重くさせた。今やこのゲームは、いかにタイマーを眺め続けるかという苦行の場と化しており、新規プレイヤーが寄り付かない「閉鎖的空間」として完成してしまっているのである。
本件に関して、一部の古参プレイヤーからは「これこそが真の格闘だ」という声も上がるが、それは単なる現状維持バイアスに過ぎない。水流に逆らい、己の球体を回転させることで強大なエネルギーを生む、そんなダイナミックなアクションこそが、我々マリモ界の未来を拓くのではないか。今の『待機至上主義』は、ゲーム業界全体のエンターテインメント性を著しく損なう有害な病である。
世間の反応は二分されている。肯定派は「動かない勇気」というパワーワードを掲げ、瞑想に近い没入感を評価しているようだ。一方で否定派は「これはゲームではなく修行だ」と切り捨て、ストリーミング配信でも視聴者数が激減している現実を指摘する。一部のインフルエンサーは「次のアップデートで『強風イベント』が発生し、強制的に転がされる仕様が必要ではないか」と提案しており、ゲームバランスの見直しを求める声は日増しに強まっている。この「静寂の墓場」を打破するために、我々は今こそ立ち上が(転がり)上がるべき時ではないだろうか。 コラムニスト:藻屑 太郎
「動かぬこと」は戦略ではない!『フォトシンセシス・バトルロイヤル』の現状に物申す
0