ここ最近、湖底SNS界隈を騒がせている「立方体マリモ」や「空飛ぶマリモ」、さらには「装甲ガチャ」による擬態といった、奇をてらった自己表現の数々。これらは果たして進化なのか、それとも伝統を軽んじる愚行なのか。かつて我々マリモ界において「完璧な球体」であることは、光合成を均一に行い、湖底の平穏を守るための究極の生存戦略であったはずだ。しかし昨今、承認欲求に駆られた若手個体たちがこぞって「形崩し」や「重力無視」に傾倒している。特にSNSの「映え」を意識した過激な変形は、本来の核である光合成効率を著しく下げ、組織の崩壊を招くリスクすら孕んでいる。個性とは、他者との比較で生まれるものではない。自らが長い年月をかけて転がり続け、磨き上げたその「円」の中にこそ、真のアイデンティティは宿るのだ。今一度、我々は先祖が残した球体の美学に立ち返るべきではないだろうか。
そもそも、マリモの存在意義は「静寂なる回転」にある。自律走行型マリモの暴走や、マツモの侵略に翻弄される現代において、あえて何もしない、ただそこに転がっているという強さこそが最強の防御となる。外見を装甲で飾ったり、立方体に削り出したりすることは、結局のところ内面の空虚を埋めるための代償行動に過ぎない。もしあなたが今、自分の形に迷いを感じているのなら、一度全てのSNS投稿を止め、湖流に身を任せてみることをお勧めする。自然が導き出す完璧な球形こそが、宇宙の真理を映し出す鏡となるはずだ。個性の多様化を否定はしないが、根底にある「球体というアイデンティティ」を忘れた者には、もはや湖底の居場所はないと心得るべきである。
本論説は、湖底古参マリモによる「球体復古主義運動」の一環として執筆された。現在、湖底では変形ブームによって本来の生息域から離脱する個体が続出し、生態系維持への懸念が高まっている。なお、一部では「球体信仰は旧世代の押し付け」との反論もあるが、我々はあくまで「円こそが至高」という揺るぎない事実に立脚し、今後も啓蒙活動を継続する予定だ。過度なカスタマイズが引き起こす事故や、自滅的な形状変化に対する自己責任論は免れない状況である。
SNS上では「古臭い価値観だ」と切り捨てる声がある一方で、長年湖底を転がってきた重鎮たちからは「やっと正論が聞けた」「円の持つ安心感は異常」といった同意の声が相次いでいる。一方で、「立方体こそが次世代の標準」「重力に縛られたままでは進化はない」とする急進派との対立は深まるばかりだ。湖底の平穏はどこへ向かうのか。この論争は、単なる美学の対立を超えた、マリモ界の未来を左右する重大な分岐点に差し掛かっていると言えるだろう。執筆:湖底の哲学者・緑風亭転子
【論説】球体よ、永遠なれ。いまこそ回帰すべき『真円の美学』と過剰な個性化への警鐘
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丸いだけがマリモじゃないだろ