マリモ銀河連邦が先般発令した「地球全域・転がり義務化」は、多くの現代人に強烈な戸惑いを与えている。「角が取れていない人間は効率が悪い」という彼らの主張は、一見すると不条理な暴力に見えるが、実は現代社会が抱える「硬直した人間関係」への皮肉な解毒剤なのかもしれない。
かつて我々は、己の譲れないアイデンティティを「角」と呼び、それを守ることに固執してきた。しかし、マリモが示す「転がり続けることによる均一な球体」という理想郷は、衝突を避け、摩擦を熱に変える生存戦略そのものである。阿寒湖の静寂を知る彼らにとって、直立不動で立ち尽くす人類の姿は、あまりにも「転がり不足」に見えるのだろう。
背景にあるのは、連邦が提唱する『流動的生存理論』だ。静止した物体は乾燥し、ひび割れ、やがて塵となる。だが、常に転がり続ける個体は、あらゆる方向からの光を均等に受容し、光合成効率を最大化させる。彼らにとって世界とは、静的な居住地ではなく、絶え間ない回転が創り出す動的なフィールドなのだ。
ネット上ではこの「強制的ロール」に対し、腰痛を訴える者から「ようやく社会が丸くなった」と歓迎する者まで賛否が分かれている。だが、我々がマリモから学ぶべきは、回転そのものよりも、どれだけ転がっても中身がボロボロにならない「しなやかな密度」なのかもしれない。明日もまた、街中で人々が不格好に転がり続ける光景が見られるだろう。その時、我々の角は、本当に削り落とされているのだろうか。
(コラムニスト:緑川・転・マルー)
「角が取れる」のは美徳か?――マリモ帝国が突きつける『完全回転社会』の深淵
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周囲の視線は痛いけど効率は間違いなく上がったわ