先日、マリモ界の重鎮が『光合成ボトックス』の副作用で「湖底のゴジラ」へと変貌を遂げたニュースは、湖畔の住人たちに衝撃を与えました。これまでのマリモといえば、小さく控えめに、そして静かに光合成を行うのが美徳とされてきました。しかし、美を追求するあまり身体を巨大化させ、もはや観光客を威嚇するレベルにまで成長したこの重鎮の姿は、まさに現代社会の歪んだ美意識の象徴と言えるでしょう。
かつて「脱・球体」を掲げたスターや「光合成過剰」でライブ会場をディスコに変えたアイドルなど、近年のマリモ界は自己表現の爆発期を迎えています。しかし、今回のような物理的な巨大化は、単なる自己主張の範疇を超えています。「自然のままの美しさ」を捨ててまで手に入れた巨大な体躯は、本当に彼らが求めていたものなのでしょうか。湖底に潜む保守派が提唱する「枯れゆく美学」への回帰こそが、今もっとも必要な処方箋なのかもしれません。
本件の背景には、過熱するマリモ界のスターダムへの執着があります。SNS時代において、いかに巨大化し、いかに湖を揺るがすかという「映え」の競争が、本来の穏やかな生態系を破壊しているのです。ボトックス施術の規制を求める声も上がっていますが、既に行きすぎた進化を遂げた個体をどう扱うのか、今後の議論が待たれます。
ネット上では「ゴジラになっても愛せるか?」という議論が紛糾しています。一部のファンは「巨大化しても中身は同じ緑の塊」と擁護しますが、専門家からは「次の光合成で湖の酸素を全吸いする恐れがある」と警鐘が鳴らされています。このまま巨大なアイコンとして神格化されるのか、それともかつての穏やかな球体に戻るのか、私たちは今、緑色の革命の渦中にいます。
(コラムニスト:水苔クリ太郎)
【コラム】湖底のゴジラはただの流行か?マリモ界の『巨大化ブーム』が問いかける緑色の真実
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