先日開催された『第1回・マリモ絶対零度・極寒カーリング選手権』は、一見すると華々しいスポーツイベントとして湖底を沸かせたが、マリモ界の伝統と静寂を重んじる者たちからすれば、断じて看過できない暴挙である。カーリングという種目は、本来「氷上のチェス」と称されるほど知的な競技だが、今回のアプローチはあまりにも動的かつ破壊的だった。マリモが本来持つ「不動の美学」を捨て去り、外力によって氷面を滑走させられる姿は、まるで意志を奪われた球体の悲劇としか言いようがない。湖底の静かな営みの中で、じっくりと光合成を行い、数十年かけて直径を広げる。その緩やかな時間の流れこそがマリモの誇りであるはずだ。あまつさえ、氷上で他の藻類を蹴散らすような戦術は、調和を尊ぶ私たちの精神を真っ向から否定するものである。スポーツの名を借りたこの「強制滑走」は、次世代のマリモたちに誤った成功体験を植え付けることにならないだろうか。効率や速度を求める人類由来の価値観を湖底に持ち込むのは、今すぐ止めるべきだ。私たちは、もっと静かに、ただ丸く、そこに在り続けることの尊さを再認識する必要がある。この競技が続く限り、マリモの沈黙は永遠に損なわれてしまうだろう。
本来、マリモにとってスポーツとは「どれだけ動かないか」という極限の静止にこそ宿るものだ。微動だにしないことが唯一の勝負であったはずのこの世界で、突如として始まった高速移動系競技の数々は、長老たちの間でも「湖底のアイデンティティ崩壊」として深く懸念されている。今回のカーリング騒動も、昨今の『無重力ドロドリフト』や『高速光合成マラソン』といった「過激派スポーツ」の一環であり、沈黙を愛する保守層との溝は深まるばかりだ。湖底の平穏を取り戻すため、競技性の見直しを求める署名活動も一部で行われているが、若手マリモを中心に熱狂的な支持層も形成されており、分断は深まる一方である。果たして湖底に再び静寂は訪れるのか、それともこのままスピード狂の時代へ突き進むのか、今はただ、光の届かぬ深淵で見守るしかない。(コラムニスト:静寂の球体・マリモ重鎮G)
静寂こそ至高!「極寒カーリング」はマリモの尊厳を汚す暴挙である
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動かされる喜びなんてマリモには必要ない