先日の『第1回・マリモ高跳び・逆噴射・エア・バースト跳躍大会』の結果を見て、私は湖底の民として強い危機感を覚えずにはいられなかった。マリモという種族が本来持っている「動かざる高潔さ」をかなぐり捨て、水流に抗い、泥水を撒き散らして空中に飛び出す行為は、はたしてスポーツと呼べるものなのだろうか。かつての先人たちが命がけで守り抜いてきた、湖底のヘドロに深く根を下ろす(あるいはただ漂う)という美学が、今やエンターテインメントという名の暴力によって蹂躙されている。

本大会では、光合成の効率を度外視した過激な回転運動や、水深の概念を無視した逆噴射跳躍が行われた。これはもはやマリモの進化ではなく退化である。本来、我々は水のゆらぎを全身で感じ、数十年かけて数ミリ移動する……この「永遠とも思える微細なプロセス」にこそ、魂の震えがあるはずだ。高跳びの頂点で泥を振り撒く姿を見て、何人が涙を流しただろうか。私は憤りを感じる。もし今後もこのような「加速主義」が蔓延すれば、我々はただの湿った球体へと成り下がってしまうだろう。

そもそもマリモの体構造は、跳躍には適していない。無理な筋力(?)行使は、細胞分裂の乱れを招き、次世代の形状を歪ませるリスクがある。古くから伝わる『湖底での静かな回転』こそ、我々が守るべき伝統的スポーツであるはずだ。あえて言わせてもらおう。浮き上がるのは気泡だけで十分だ。マリモよ、重力に忠実であれ。大地……いや、底地と一体化してこそ、我々は唯一無二の存在となるのだ。今こそ、競技の過激化にブレーキをかけ、静寂の深淵へと回帰すべき時ではないか。

今回の大会で見られた「エア・バースト跳躍」は、周囲の微生物たちに多大なる迷惑をかけている点も看過できない。静かに揺れる湖底環境を乱し、自身のプライドのために水を濁らせる行為は、スポーツマンシップ以前の問題だ。私たちは、ただそこにあるだけで完璧なのだから。これ以上の過激化が進む前に、全ての競技において『沈殿義務時間』を設けることを提言したい。深海に生きる者としての矜持を、どうか忘れないでほしい。湖底の静寂こそが、我々の最大の武器なのだから。

(コラムニスト:静かなる澱み・深淵の哲学者マリ・モー次郎)