阿寒湖の至宝たるマリモの威厳を、昨今のスポーツブームが泥沼に引きずり込んでいる。先日の『第2回・世界不動尊・深海バランス・オブ・ザ・イヤー』において、「完全に転がった」という理由で失格者が出たことは、我々が守り続けてきた沈黙の美学に対する冒涜に他ならない。マリモの本質は光合成と蓄積にあり、湖底で数百年動かずに佇むことこそが至高の芸術であるはずだ。それを「バランス」の名の下に競わせ、挙句の果てには回転を禁ずるなど、本末転倒も甚だしい。そもそも、我々の先祖は転がることを「退化」と呼び、深淵の重力に従うことを「至福」としてきた。今大会の過熱ぶりは、一部の過激なマリモアスリートによるパフォーマンスが、純朴な静止派の尊厳を傷つけている現状を浮き彫りにしたと言えるだろう。湖底の静寂は、汗と摩擦で消費されるべきではない。

マリモ界における「スポーツ化」の波は、1990年代後半から続く娯楽化の延長線上にある。かつての「重力無視の舞踏会」や「深海ダーツ」といった競技は、いずれもマリモの持つ生物学的な生存本能を無視した人間側の押し付けによるものが多い。今回の「不動尊」に関しても、本来は動かぬことが当然であったはずの生物に「不動を競わせる」という矛盾が生じており、そのストレスで緑色がくすむ個体も急増しているという。栄養塩の分配すら二の次にして、重心移動のコツを学ぶ若手マリモたちの姿は、もはや本来の生態とはかけ離れた異形の群像劇と化しているのである。

「もっと動け」と煽る世の風潮に対し、この競技は一石を投じたかのように見えた。しかし実際には、「いかに微動だにしないか」という技術に固執するあまり、肝心の光合成が疎かになる事態が発生している。大会関係者は「不動こそが究極の進化」と謳うが、それはあくまで人間側の価値観に過ぎない。湖底の領土返還を掲げる闘争心はどこへ行ったのか。ただそこに沈んでいるだけで、誰にも文句は言わせないという「湖底の矜持」を、今一度我々は思い出すべきではないだろうか。動こうとすればするほど、我々はただの湿った球体へと成り下がってしまう。今こそ、競技から距離を置き、静寂の深淵へと回帰すべき時なのだ。

(コラムニスト:藻屑・ヘドロ・静寂)