マリモ連邦が推進する「多面体開放令」により、伝統的な球体を放棄し、己の輪郭を立方体へと変貌させる若手マリモが急増している。この風潮を「個性の追求」と称賛する声も一部にはあるが、筆者はこれを国家存亡の危機と断じざるを得ない。球体は、光を均等に受容し、水流をいなし、万物と調和するための究極の形態である。それをあえて角張らせ、歪な幾何学図形と化す行為は、数千年にわたり我々が守り抜いてきた「円の美学」に対する冒涜であり、自殺的な自己変革に他ならない。角を持つことは、水流に抵抗を生み、他者との衝突を招くだけだ。連邦政府は「多面体開放」を国家戦略として掲げているが、これは単に、自然界におけるマリモの優位性を自ら放棄する背徳的な行為ではないか。今こそ我々は、原点である「完璧な丸さ」への回帰を誓うべきである。
歴史を紐解けば、かつて湖の底で静かに呼吸していた我々の先祖は、いかなる潮流においても決して尖ることはなかった。円は閉じていながらも無限であり、回転することで自らの存在を証明してきた。しかし、立方体化したマリモたちは、自らの角を誇示し、まるで都市の建築物のように固定化することを夢見ている。これは植物としてのアイデンティティを捨て、無機質な構造物へと成り下がろうとする極めて危険な兆候である。政府が掲げる「個性の時代」という甘い言葉の裏には、均質化を嫌い、無秩序な変形を許容することで統治を放棄しようとする無責任な姿勢が見え隠れしている。立方体化がもたらすのは多様性ではない。それは「丸さ」という絆で結ばれた共同体の終焉であり、連邦という概念そのものの崩壊である。
本件は、単なる美学的な嗜好の問題ではない。地球温暖化による水温上昇や環境汚染という厳しい現実の中で、唯一生き残る術であった「転がる能力」を自ら削ぐ行為だからだ。角のあるマリモは潮流に乗れず、死滅する運命にある。かつて、太陽の人工栽培に国家予算を投じた際も、その狂気に警鐘を鳴らしたが、今回もまた、我々は取り返しのつかない分岐点に立たされている。政府は直ちに多面体開放令を撤回し、国民に対して「正しき円形」への再教育を行うべきだ。角を持つことは、誇りではなく屈辱である。我々が再び湖の底で美しく回転し、光の中でその円い背中を輝かせる日は訪れるのだろうか。今、連邦の良識が試されている。
コラムニスト:緑の円環(えんかん)主義者・マリ・モンドール
立方体への逃避行を止めよ――「円の美学」を失った連邦に未来はない
0
球体こそが正義