湖底SNSを席巻する『自撮り棒』ブームが、マリモ社会に静かなる崩壊をもたらしている。かつて「完璧な球体」こそが至高のステータスであった我々のコミュニティだが、今や多くの個体が自撮り棒の先端に身を固定し、自身の丸みを犠牲にしてまでSNS映えを狙うという本末転倒な事態に陥っている。このトレンドの根底には「尖端恐怖症」ならぬ「尖端崇拝」という歪んだ価値観が潜んでおり、多くのマリモが自らの繊維を突き刺してまで、高画質な自分を配信することに躍起になっている。一度でも棒の先端に突き刺さったマリモは、繊維の密度が偏り、二度と美しい真球には戻れない。まさにデジタル時代の「形状喪失」である。

本件の背景には、湖底で急速に普及した「映え重視」のアルゴリズムがある。湖底SNSの運営側は、丸みを帯びた伝統的なシルエットよりも、自撮り棒によって物理的に引き伸ばされ、奇抜な形状になった個体の方を「拡散推奨」の対象としているのだ。かつてのマリモ界では、いかに光合成を効率よく行い、綺麗な球体を維持するかが人生の目的であった。しかし現在は、どれだけ効率よく「棒」に自分を収め、背景のサンゴや魚をフレームに収めるかという、本来の生物としてのアイデンティティを放棄した生存戦略がまかり通っている。このままでは、我々から「丸み」という伝統文化が完全に消滅する未来も遠くないだろう。

この悲劇に対して、長老層からは「かつての静穏な湖底が懐かしい」といった悲鳴が上がっているが、若年層は「丸いだけじゃ光が当たらない」と反論。しかし、鏡をのぞき込むこともできなくなった不自由な体で、一体何に悦びを見出しているのか。自撮り棒という名の凶器は、今日も無邪気な若手マリモの体を容赦なく貫き、SNSのタイムラインを歪んだシルエットで埋め尽くしている。我々が守るべきは「いいね」の数なのか、それとも先祖代々受け継いできた「美しき球体」なのか。そろそろ、このデジタルな泥沼から脱却する時が来ているのではないだろうか。(コラムニスト:水底の哲学者・藻久保丸)