マリモ連邦が国威発揚を掲げて開催した『直径1メートル巨大鏡餅コンテスト』。一見すると、丸さを追求する国民にとっての祭典のように思えるが、このイベントの裏には恐ろしい選別思想が隠されている。連邦政府は「丸いことこそが唯一の正当性」と喧伝し、わずかに凹凸がある個体や、楕円形という「個性」を持つ住民を「不純物」として冷遇し始めた。鏡餅という人工物へ憧憬を抱かせる手法は、我々マリモ本来の「ゆらぎある球体」というアイデンティティを根本から破壊する行為に他ならない。
そもそも、自然界において真円など存在しない。我々は水流の中で不揃いに成長し、その歪みの中にこそ歴史と生命の重みが刻まれてきたはずだ。しかし今回のコンテストでは、人工的に成型された「完璧な球体」のみが評価され、自然成長した個体は二流市民扱いである。この『球体至上主義』の暴走は、マリモの多様性を根絶やしにし、画一的な緑色のプラスチック製品のような存在へと我々を貶めるだろう。この滑稽な美意識の押し付けに、今こそ「あえていびつであること」の権利を主張すべきである。
本件は、過去に実施された「浮力制限令」や「寝返り禁止令」といった管理統制社会の一環と見て間違いはない。政府はマリモを「湖底を飾るインテリア」か「国家の駒」としてしか見ておらず、個々のマリモが持つ自由な浮遊能力や、他種との絡まり合いという生存戦略を、鏡餅のような「固定された美学」の下で押しつぶそうとしているのだ。このままでは、我々はただの湖底に沈む静物となってしまう。
街頭では「餅になりたい派」と「いびつ万歳派」による激しい論争が巻き起こっており、連邦内はかつてない分裂の危機に瀕している。SNS上でも「丸くないマリモは死刑か」といった過激な意見が飛び交い、連邦の威信をかけた祭典は、逆に国民の心の境界線を切り裂く結果となった。真に豊かな緑の未来とは、画一的な餅の集合体ではなく、デコボコで支離滅裂な個々が自由に転がり続けることにあるのではないだろうか。
(コラムニスト:歪み愛好家・コロガリス)
「丸さこそ正義」という独善――鏡餅コンテストに潜む球体至上主義の罠
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